Ich tanze nicht mit (17.03.2008)

2月にヘッセン州で行われた州選挙の結果が、大きな混乱をもたらすであろう事は当時すでに予想できたのだが、その予想を上回る大混乱を引き起こしている。

まず、お互いに顔を見る事さえも拒絶していた現知事のコッホ氏(以下、ガキ大将と略。)とYpsilanti女史が会談を行い便宜上の結婚を図った。ところが、あまりにもお互いに憎みあっていた為、この会談は一向に展開をみせず、早々に座礁した。便宜上の結婚を強いられなくて済んだYpsilanti女史は、緑の党と組んで、FDP(市場経済、雇用者最優先を提唱する党。党首は自他共に認める同性愛者。)を連立政権に取り込もうと画策。しかしFDPは緑の党の経済性を無視した無茶な環境政策に反対して、(政治資金を、雇用者からもらっているので。)一切の協力を拒否。この為、Ypsilanti女史が州知事になるには、die Linke(その名の通り左翼政党。元は東ドイツで独裁政治を行ってきた共産党のSED。)を連立政権に取り込むしか他に選択肢がなくなった。しかし、これには大きな問題がある。Ypsilanti女史は選挙前に、「どんな事が起ころうとも、左翼政党との連立はあり得ない。」と公言、公約してしまっていたのだ。

こうした背景があって、一向に誰が政権を握るのかまったくわからない状況が2週間続いた。敵(CDU)の城(Hessen州)を奪取する事を夢見て、これが到達できたと思った瞬間に、また目標が遠のいていくのを見ていたSPDの党首Beck氏は、痺れを切らして左翼政党との連立政権をほのめかす。記者団に「選挙前は左翼政党との連立を否定したのに、選挙後、2間で公約を破るのですか。」と聞かれたBeck氏は、「積極的な協同はあり得ない。だからこれは公約破りでははない。」と言い訳。つまり、公に緑の党、die Linkeとの3党連立政権を組むのではなく、表上はSPDと緑の党の連立政権。しかし、これでは議会で過半数を取れないので、(選挙の時だけ)die Linkeに賛成票を投じてもらおうという都合のよい考え。この「消極的な協同」は、Beck氏の言う所によると「積極的な協同」の正反対であり、公約破りにはらないというのである。

しかし、これが公約破りである事は誰にもわかった。折りしもHamburg州での州選挙を控えていた時期だけに、この公約破りはまずかった。選挙前の世論調査では野党SPDの善戦が期待されており、緑の党次第では、SPDの政権復帰も大いに期待できたのだが、選挙が終わってみると、(自他共に認める同性愛者の)von Beust氏(CDU)の勝ち。緑の党が善戦しただけに、もしBeck氏のLinksschwenker(左翼政党への言い寄り)がなければ、SPDの政権復帰していただろう。この敗戦を受けて、党内でのBeck氏のLinksschwenkerに対して、非難が高まる。しかし一度言ってしまった事を、言わなかったようにする事はできない。そこでBeck氏は、Ypsilanti女史に左翼政党との協同を公に許可してしまう。これで少なくともHessen州ではSPDが政権復帰したものと皆が思っていた。

ところが、そうは問屋が卸さなかった。よりによってSPDの古参党員であるMetzger女史が議会での信任選挙の際、反対投票をする(Ich tanze nicht mit.)と言い出したのである。Metzger女史は旧東ドイツ出身。家族は東西ドイツに別れて住むことを余技なくされ、東ドイツ政府(つまりSED)が入国を拒否したので、両親の死に目にも立ち会う事ができなかった。Metzger女史にしてみれば、SED(die Linke)は親の仇(der Todfeind)。その親の仇とSPDが(公約を破って)協同するなどもっての他。これを聞いたBeck氏とYpsilanti女史は顔面蒼白。Metzger女史が反対投票をすると、他の党員、あるいは左翼政党の誰かが同じように考えて反対投票をするかもしれない。たったの2票欠けるだけでYpsilanti女史は過半数を獲得できなくなるのである。実際、SPDは数年前にSchleswig-Holstein州の信任選挙で身内が寝返り、過半数に1票が欠けて政権を獲得できなかった事がある。この責任を取ってSPDのSchleswig-Holstein州党首は辞任を余儀なくされた。このままではこの悪夢の再現である。そこでBeck氏はMetzger女史を党本部に呼び寄せて、「党から放り出すぞ!」と脅すも、Metzger女史は"Nur ueber meine Leiche."(死んでも嫌だ。)とdie Linkeとの協同を拒否。これを見た(聞いた)市民は、Metzger女史の意志の強さに声援を送った。

事ここに至れり、Ypsilanti女史は議会の信任選挙の立候補を取り下げる羽目になった。1票差の過半数を当てにして、立候補して敗戦する危険があまりに大きいと判断したのである。その後、Metzger女史は党の圧力に負けて辞任をほのめかすも、Ypsilanti女史はすでに候補取り下げを言明した後。Beck氏はそれでもYpsilanti女史を再度、立候補させようと努力するもYpsilanti女史はこれを固辞。これでは責任問題になりかねないと見たBeck氏は病気を理由に2週間、自宅に引きこもってしまう。この一貫性のない党首の行動で、SPDの人気は戦後最低にまで落ち込んだ。

この一件で笑いが止まらない人物が一人居た。そうガキ大将である。一時は、政権を失い、Hessen州の党首の座をも首になるとまで予想されたガキ大将だが、この騒動の間、(珍しく)一言も発さず、お陰で新たな失態をさらす事なく、政権の座に留まる事ができそうな雲行きになってきた。(ドイツではどの政党も過半数を獲得できない場合、これまでの州知事が、そのまま就任し続ける決まりになっている。)ドイツ語で"Reden ist Silber, Schweigen ist Gold."(話す言葉は銀、沈黙は金なり。)と言うが、まさにその通り。

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今回の一件で一躍有名になったMetzger女史。

 
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敗北を噛み締めるYpsilanti女史。選挙後の表情と雲泥の差。


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