カムバック!  (08.09.2008)

1989年に東西ドイツが合併(正確には東ドイツが西ドイツに吸収)されてからほぼ20年も経つのに、ドイツでは未だに西ドイツ住民の東ドイツ住民に対する偏見が根強く残っている。ドイツ人と話していて、「彼(女)は東から来たからね。」というコメントがちょくちょく聞かれる。一般人のレベルでこの調子だから、東ドイツの(かっての独裁)政党については、偏見などというよりも敵愾心丸出しである。だから左翼政党がSED⇒PDS⇒die Linkeと名前を変えても、西ドイツ国の国民の多くは、この政党を信用していない。そのいい例が、国の憲法守護機関が、今でも行なっている左翼政党への監視だ。ドイツでは日本と違って過去の誤りを繰り返さないため、憲法を無視する団体を監視する機関を設けている。この対象になるのは、マフィアなどの犯罪組織、極右政党(ネオナチ)などの団体なのだが、左翼政党も未だにこの監視を受けている。

こうした背景があって、SPDの党首であるベック氏の左翼政党への言い寄りは、党内の右派の党首への信頼を完全に無くす事になったが、氏には他に選択肢がなかった。党内のライバル、シュタイマイヤー氏がかっての首相のシュレーダー派で、右派の旗手だから、ベック氏が政治的に生き延びるには、党内左派の信頼を得る以外に手立てがなかった。その結果、ますます党首の言動は左側に偏ってきた。これに比して、SPD(Beck氏)は国民の信頼を失って、政党支持率がなんと20%まで下がってきた。これ見て、「このままベックに任しておくと、SPD存続の危機に発展しかねない。この現状を見て、居ても立っても居られなくなったのが、かっての党首Muentefering氏だ。氏は奥さんが末期の癌で苦しんでいた為、役職をすべて辞任して政界から引退したにもかかわらず、あまりのSPDの惨状を見てカムバックを宣言した

ミュンテフェーリン氏は、党内だけでなく国民に広く知られており、党首のベック氏よりもはるかに知名度がある。さらに氏は右派ながらも、党内の左派からも受け居られられているので、氏の復活は党内の右派、シュタイマイヤー派にとって大きな支えとなる。しかし、(まだ)党首のベック氏は「俺がまだ党首で、左派の支持を受けている限り、一度引退した政治家に何ができる。」と、思っていた。ところがミュンテフェーリン氏がカムバック宣言をすると、よりによってこれまで「ベック氏を党の首相候補に!」と、推していた党内左派の政治家が一人二人と戦線を離脱、シュタイマイヤー氏を首相候補として推す声明を出したのである。この辺りに、ミュンテフェーリン氏の手腕が伺われる。流石にこれを見たBeck氏は、「勝ち目なし。」と、観念したらしい。勝ち目がなければ、妥協して全面的な敗北を避けるのが一般的な戦略だ。そこでBeck氏はシュタイマイヤー氏に極秘の会談を求め、シュタイマイヤー氏が首相候補として立候補する見返りに、Beck氏の党首在任を要求した。8月5日、グルジアの紛争問題を討議する会議に外相として出席したシュタイマイヤー氏は、記者団に首相候補の問題について聞かれた際、「昨日回答できなかった質問に、今日、回答できるわけがない。」とコメントしていたのだが、その際の相好を崩した表情は、「(この質問をされて)楽しくて仕方がない。」という印象を与えた。

その翌日、8月6日夜、シュタイマイヤー氏とBeck氏との間で交わされた協定の内容の一部がマスコミに漏れた。その日の夜遅くのニュース速報で、「シュタイマイヤー氏がSPDの首相候補に決定!」と誤って報道されると、「じゃ、ベック氏の運命はどうななるんだ。」という当然の疑問があちこちで聞かれ、「政権争いに敗れたベック氏は、辞任する事になるだろう。」と、(本人も知らないのに)まことしなやかに解説された。この報道を聞いたBeck氏の怒りは並大抵ではなかった。氏は、シュタイマイヤー氏を首相候補にしてMerkel首相と戦わせ、選挙で負ければ、敗北の責任を負わせて政敵を始末できるとふんでいた。だからこの協定を党会議で公式に発表さえすれば、自分の政治生命が救われたものと確信していた。ところがこの協定が時期早尚に、しかも誤って外部に漏れた為、「Beckが政権争いで敗れた!」とうイメージが伝わってしまった。この情報のリーク(漏洩)は、政治手腕巧みなミュンテフェーリンが一枚絡んでいたに違いない。Beck氏は、党内左派が自分の陣を離れてシュタイマイヤー派に同調していく四面楚歌の状況を見て、負けを否応なしに自覚させられた。翌日の党会議の冒頭、Beckは辞任表明の発表を勝利者に任せ、党会議を途中で抜け出し故郷のマインツに帰ってしまった。

邪魔者が居なくなると、シュタイマイヤー氏は記者会見にて、氏が党首候補に指名され、Beck氏が党首を辞任したので、その後任にミュンテフェーリン氏を推薦する旨、発表した。これはミュンテフェーリン氏が9月から政界にカムバックをすると宣言してから、たったの3週間しか経っていない。ましてや、自分の手を一切汚す事なく、抜群のタイミングの良さと、その情報操作により、この離れ業を成し遂げたのである。2009年の総選挙では、現在断然優勢のCDU(Merkel首相)は、思わぬ抵抗に遭うかもしれない。ミュンテフェーリン氏相手に油断は禁物だ。

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党首にカムバックしたMuentefering氏。



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