パン屋の親父 V.S. ドイツ政府  (16.12.2008)

ドイツ語には、「潔い」という言葉がない。近い意味を持つ言葉はehrlich(正直)だろうが、潔いとはやはりちょっとニュアンスが異なる。言葉がないからドイツ人は、潔くない、と言うのは言い過ぎだが、負けても負けを認めず徹底抗戦するか、負けを勝利と嘯くのがドイツ流。こういう人をドイツ語で(ein)schlechter Verlierer(退き際の悪い人)と言う。逆に退き際のいい人を(ein) guter Verliererと言うが、あまり見かける事はない。それでも著者の知る限り、一番格好良く負けたのは、かってのSchmidt首相だ。これまで連立政権を組んでいたFDPが急にCDUに寝返った。これによりコール首相が誕生したが、選挙の結果が明らかになった瞬間、シュミット首相は席を立ち、喜び一杯ではしゃぎまくっているコール首相に歩み寄って、新しい首相に祝辞を述べた。このシーンはテレビで中継されたので有名になったが、これが著者の知る唯一の潔い負け方だ。その逆の例は、枚挙に暇がないが、ひとつここで紹介してみよう。

ドイツでは(サラリーマンは)、仕事に必要なコストは年末調整をして、お給料から天引きされた税金の還元を求めることができる。例えばドイツでは(電車も通っていない)緑の多い郊外(田舎)に住むのが多くのドイツ人の理想なので、通勤には車を利用する人が多い。当然、ガソリン代金や車の整備費は仕事に就くに必要なコストにあたり、Pendlerpauschale(pendelnは振り子のように同じ動きを繰り返す事を指し、Pendlerは通勤者という意味になる。)という項目の下、1キロにつき30セントの税金の免除を申請できた。ところが国家財政の建て直しを図る政府は財源を確保する為、2007年からこの条項を変更、通勤に車を利用する場合は21kmから年末調整が可能とした。しかも1kmにつき20セントと税金控除額が30%も減額された。

多くのドイツ人は、新たな増税に怒ったが、ドイツ人らしく、これを受け入れた。(これがイタリアやフランスだったら、大きなデモやストになっていただろう。)ところが、この知らせを仕事場でラジオで聞きながら、「もう辛抱ならん!」と叫んだのがHuengheimと言う誰も知らない片田舎に住んでいる(だから遠距離通勤する必要がある)パン屋の親父(マイスター)だった。大体、ドイツ政府は都市の肥大化を避ける為(インフラの整備が追いつかない)、市民に郊外に住むように奨励していた経緯がある。当然、通勤には車が必要になるが、Pendlerpauschaleという税金控除のシステムを導入して、郊外からの通勤が財政的な負担にならないように配慮していたのである。しかし、ガソリン代の目もくらむような上昇(本当のガソリン代高騰の原因は、原油を輸出する中東諸国ではなく政府/税金にある。ドイツではガソリン代金の75~80%が税金。)で、ただでさえ毎月のやりくりが厳しい時に、このニュース。これでは約束事をして国民を屋根に挙げた瞬間、梯子を外してしまうに等しい。屋根から下りようにも、ローンを組んで家を買っているので、屋根から降りる事はできない。朝令暮改もはなはだしい。マイスターは国を憲法違反で国を訴えることにした。

ドイツの憲法(Grundgesetz)によると、国家が個人の権利(平等の原則など)を破った場合、国民にこの障害の除去を国家に請求できる権利を認めている(Grundrechtと言う)。マイスターによれば、国は通勤に21km以上車で走るサラリーマンと、20km未満のサラリーマンを平等扱いしないで、差別しているというわけである。流石、ドイツ人。このパン屋の親父、只者ではない。地方裁判所、高等裁判所で不利な判決が出たものの、これに負けず、このマイスターは最高裁判所にまで訴えを届け出た。最高裁では、被告人、すなわち大蔵大臣が出頭して国の政策を擁護、「国にはその政策をその時の状況に応じて決定する権利がある。」と主張。さらには、「これが違憲であると言うなら、どこから国会財政の建て直しに必要な財源を持ってくればよいのか、その財源を明らかにすべきだ。」と、パン屋の親父に国会財政の建て直し案を要求していた。この裁判沙汰はほぼ2年に及び、最高裁まで行く経過で次第に国民の興味を引き始め、このパン屋の親父は納税者のヒーローになっていたが、12月9日に最高裁の判決が出た。

最高裁判所はこの訴えの正当性を認め、国に該当する国民に対して、2007年の年末調整まで遡ってお金を払い戻すように指示した。(同時に2010年までに新しい法律の作成を命じた。)判決論拠も発表されたが、「国は論拠もなく勝手に、21kmから年末調整が可能と決める事はできない。」という実に明白なもので、パン屋の親父の論拠をほぼ100%認めた。このような判決が出る度に、ドイツには民主主義がちゃんと根付いて機能していると感心してしまう。同じ時期に、同じ過程を経て民主主義が導入された日本では、その成熟度はドイツの足元にも及んでいない。

この判決よりも面白かったのは、首相の反応だ。この判決によりドイツ政府は2009年末までに75億ユーロの税金の返却を迫られることになった。普段なら「最高裁の判決は、国の立場を理解していない。」と声明を出すのだが、今回は「この判決により、すでに決定された120億ユーロの景気対策に、さらに75億ユーロを追加することになり、ドイツ経済の活性化に役立つだろう。」とコメント、首相は敗北を勝利にすり替えていた(schlechter Verlierer)。これを聞いた経済専門家は、「政府はこれを景気対策と誤魔化して、何もしないのではないか?」と、心配顔をしている。


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最高裁の判決を甘受、税金の早急な払い戻しを約束する大蔵大臣。ドイツでは大蔵大臣は伝統的に国民に人気がないものだが、Steinbrueck氏だけは例外だ。

 

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