戦意喪失 (16.02.2009)

ほとんど毎日のように何処かで会社が倒産しており、ドイツでも経済不況が最高潮に達した感がある。数が多いのでとても覚え切れないが、記憶に残っている会社を挙げてみればSinnLeffersという衣服メーカー、Maerkinという鉄道模型のメーカー、Pfaffというミシンの製造メーカー、Rosenthalという陶器のメーカーなどだ。車の部品メーカーの倒産は数が多いので覚えていない。この前コンチネンタルを買収して自動車部品業界では世界一になったシェフラーグループが倒産寸前で国に援助を求めている(断られた。)くらいだから、ドイツの不況の規模がわかると思う。この大不況の真っ只中の2月6日夕刻、経済大臣が「私、辞めます。」と言い出し大騒ぎになった。

Glos氏の辞任の表向きの理由は、「65歳の誕生日を機会に政界から退いて、私生活に専念したい。」というものであったが、今年の9月の総選挙の結果、どのみち大臣の入れ替えがある。人気のない同氏が再任される可能性は、選挙の結果に関わらず全くなかったので、あと8ヶ月待っていれば、自動的に好きなだけ私生活に専念できる筈だった。にもかかわらず、この経済不況の真っ最中に、経済大臣が私生活を優先して辞任するなど、嵐の中で船長が船を見捨てるに等しく、氏の辞任の理由を信じる者はいなかった。勿論、グロース氏にはそれは百も承知の上。しかし、本当の理由を挙げてしまうと、大スキャンダルになってしまう。しかし、わざと見え透いた理由を挙げて辞職すればメデイアが辞任の本当の理由を推測して、テレビ、ニュースで報道してくれるが、氏の発言ではないので、氏は責任を負わないで済む。そこで、今回の見え透いた辞任理由の発表となったのである。これは氏の最初にして最後の見事な戦術だった。

グロース氏のあだ名は恐竜。なにも恐ろしいという意味ではなく、でかいだけで動きが遅いという意味。CSUに所属する氏は、年功序列で上層部に属していたが党内で人気がなかったので、経済大臣の要職に就く事になろうとは、本人さえも思っていなかった。そもそも経済大臣のポストは、かっての党首Stoiber氏がメルケル首相と交渉して、自分の為に取得した。ところが就任前になって氏が、「ベルリンに行くのは嫌だがや。」と言い出したので、経済大臣のポストが空白になった。そこでCDU内の緊急人事で(他に駒が無いから)仕方なく、グロース氏が就任する事になった。つまり、このポストは氏が志望した職務ではなかった。(シュトイバー氏はこの「気変わり」が党内で批判され、その後のスキャンダルも手伝って党首を辞任する羽目になった。)幸い、メルケル政権が誕生してから世界経済が好調になり、経済大臣の職務は、電力会社や車業界のロビイストと合って、その要求を国会で繰り返すという単調なもので済んだ。ところがここで金融危機に端を発した、かってない規模の経済不況が発生する。この大不況が1年遅く発生してれば、グロース氏は無難に職務をこなして引退していただろうが、運命は氏に別の道を用意していた。

ドイツ国内で景気後退が明らかになると、氏は経済大臣として何か政策を挙げようとするが、氏の政策は閣僚内で馬鹿にされるだけで真面目に取られなかった。メルケル首相は怖い大蔵大臣の機嫌を取るのに精一杯で、経済大臣の言うことに耳をかそうとさえしない。(グロース氏の辞任後の言葉。)こうして大蔵大臣(SPD)ばかりテレビに出て次々と政策を発表、人気をぐんぐんと上げていった。CSUの新党首になったSeehofer氏は、自分の党から選出された経済大臣が、経済不況の真っ只中に何もしないで、外野に一人で立っているのが我慢がならない。ゼーホーファー氏は、グロース氏が首相と大蔵大臣の法案に反対して、経済大臣の提案を不況対策として導入されるように大臣に圧力をかける。こうしてCDUが今回の不況で、国民に得点できることを望んだ。ところがグロース氏の提案は、大蔵大臣に相手にされなかった。そしてドイツの2銀行(Hypo Real Estate&Commerzbank)の経営が事実上破綻すると、米国、英国のようにBad Bank制度を導入して、これらの銀行を国有化、価値のなくなった有価証券を国で買い取って、銀行の存続を図る議論が高まったが、氏へのあてつけか、この議論は経済大臣なしでおこなわれた。

これ以上侮辱されるのに我慢のならないグロース氏は、仕返しに最後の大芝居の筋書きを書き上げる。まず金曜日の午後まで待って、辞任を表明するFAXをゼーホーファー氏の自宅に送った。勿論、氏が在宅していないのは承知の上。その後、メルケル首相に電話で辞意を告げると、これをこっそりメデイアに流した。記者団から経済大臣の辞意を聞かされたゼーホーファー氏は、寝耳に水。何も事情を知らないから、大臣の辞任を否定する。怒り心頭に発したゼーホーファー氏は、グロース氏に電話を入れるが、「自宅にFAXを送っておいたよ。」とだけ言われて電話を切られてしまう。即効で自宅に向かう車の中で首相と電話をして、経済大臣の辞任を共同で否定する方針に同意。メルケル首相も同様のコメントを発表することになった。これでその日のニュースの見出しは、「グロース氏、戦意喪失。」(ドイツ語ではamtsmuede)あるいは、「辞めさせてもらえないグロース氏。」という文句が新聞、テレビのトップを飾った。続く週末は、経済不況の真っ只中、やる気の無い経済大臣を本人に意思に反してその地位に縛り付けておく事の意義が議論され、又、「何故、グロース氏はやる気をなくしたのか。」と討論が始まった。まさにグロース氏の思い通りである。
          
ゼーホーファー氏は週末にグロース氏と会見して初めて、辞意は翻るものではないことを、又、氏に圧力を掛けすぎた事を悟った。昨日までは「辞めちゃ駄目。」と言っておきながら、今日になった「いいよ。」と言う豹変振りは、部下及び支持者の信頼を失くすのに最適の手段であるから、政治家はこれを極力さけなければならない。が、今となっては他に方法がない。大急ぎで後任探しが始まると、「グロース氏、辞任許可される!」と、のトップニュースになる。これにより首相が大蔵大臣のご機嫌取りを最優先課題としているという印象が広まり、メルケル首相の指導者としてのイメージも悪化した。又、経済不況を利用して、特典を稼ごうとしたゼーホーファー氏の目論見はまさに正反対の効果を生み、氏(党)のイメージを悪化させる事になった。こうしてグロース氏は、これまでの仕打ちに対して、一矢を報いることができたのである。流石、老練な政治家だけの事はある。見事な演出であった。

その後、後任になる経済大臣はまたもやCSU内の緊急人事で、zu Guttenberg氏に決定される。名前からわかるように、氏は男爵で、氏の母は第三帝国の外務大臣フォン リッベントロップを父に持ち、氏自身もあのビスマルクの孫娘で公爵のStefanie von Bismarck-Schoenhausenという非常に長い名前の女性と結婚している。当然、氏の正式名称は男爵にふさわしくKarl Theodor Maria Nikolaus Johann Jacob Philipp Franz Joseph Sylvester Freiherr von und zu Guttenbergという名前だ。又、度重なる緊急人事でドイツ史上(第二次大戦後)、もっとも若い大臣の誕生となった。

後任が決まると、2月10日、大統領の下で辞職する大臣と新任する大臣の宣誓がおこなわれることになった。前日の月曜日に今の心境は?と記者団に聞かれたグロース氏の言葉は、"Ab Dienstag, 14:15 Uhr, bin ich wieder ein freier Mensch."(火曜日の14時15分には、再び自由の身になる。)であった。通常、"ein freier Mensch"とは牢獄から開放された人間を描写する言葉である。余程、嫌な思いをしていたに違いない。


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孤立無援でやる気をなくした大臣。


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任命されたばかりでやる気慢心の大臣。



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