Rette sich, wer kann! (27.07.2010)

まだ津波がやってくる前、ピーピー島に行ったときの話。運悪くグループ旅行に当たったのか、ピーピー島へ向かう船着場の前はものすごい数の乗客が船を待っていた。「この船に乗れなかったら、今日のホテル代が無駄になる。」と心配していたものの、心配無用。「定員」という概念がないこの国では、集まった乗客を無理やり船に詰め込んだ。足らない座席は、近くのレストランからプラスチックの椅子を借りてくると、これを通路に並べて問題解決。ちょうど雨季だったので、海は大時化。通路に並べられた椅子に座っていたファラン(西欧人)は、「座席ごと」吹っ飛んでいた。これが最初で最後。タイ(アジア)での船の移動は、金輪際しないことに決定。これが正しい処置であった事は、毎年相次ぐ沈没事件で証明されている。

これといい対象をなすのがドイツの安全基準。例えばドイツではトラックやバスの運転手の勤務時間が限られている。8時間を越える勤務時間では、運転手を2名用意しなくてはならない。タイのように、夜行バスでバンコクからメーサイまで11時間の長距離を一人で運転という事は有り得ない。これは何もドイツ人が怠け者なのではなく、疲労した運転手が注意散漫になり事故を引き起こすのを予防する為の措置。このルールを守らない場合、運転手は罰金の他に、免停になる。運転手が免停になったら、仕事ができない。だからドイツの運転手は安全基準をよく守る。このようにドイツでは「性悪説」に基づいて法律を設定しているので、ほとんど抜け目がない。だからドイツで何か事故があると、法律で決められている安全基準を遵守しなかった事に起因する事が原因である。ちょうどの週末に起きたデユーイスブルクの悲劇も、この安全措置を無視したのがその原因だ。

今回の悲劇の原因を語る前に、まずはラブ パレードに関して。元来、これはベルリンで開催されていた「政治的催し物」だった。民主主義下のドイツでは、例えネオナチでもデモ行進を市に申請すると、これを認可しなくてはならない。このデモにより、明らかな危険が予想される場合に限って、政治的催しの許可を拒否する事ができる。ラブ パレードのデモ行進には「危険」が予想されず、政治的な催し物だったので、ベルリン当局は台所事情がしんどいのに、これを許可しなくてはならなかった。この結果、デモの交通蒸篭、デモの後の道路の大掃除は言うに及ばず、警察の大動員、緊急医療体制のバックアップにかかる費用を、ない袖を振って払わなくてはならなかった。その後、ラブ パレードが世界的に有名になり、ますます商業化してくるとベルリン市はこれを幸いと、「政治的催しではなく、営利的催しなので、清掃、警備、医療費用は全部、自分で出しなさい。」と宣告することが可能になった。困ったのは主催者。入場料が無料だった為、必要な費用(100万ユーロを超える)を集めることができず、ラブ パレードはキャンセルされた。

これに目を付けたのが、慢性化する失業に悩むNRW州。ラブ パレードをNRW州で開催して、観光収入で町を活性化しようと考え、ラブ パレード主催に必要な資金の大部分を市(つまり税金)が出すことで合意に達した。この結果、2008年にはラブ パレードは始めてNRW州、ドルトムントで開催された。2009年はボッフムで開催される予定だったが、市が「100万人もの参加者を安全に収容できる場所がない。」として開催を拒否した。もっとも本当は、財政難が理由だったのかもしれない。これらの市は炭鉱業と鉄鋼業の中心地だったので、高失業率が慢性化、税収入は少なく、100万ユーロもの開催費を出して、「元が取れるかどうか。」に、賭ける気がなかったとして不思議ではない。

この「反省」を受けて2010年のデューイスブルク(デュッセルドルフの北隣の町。外国人居住率が高く、一部、ゲットー化している。)でのラブ パレードは、念密に計画された。何せデューイスブルクは犯罪で新聞に載ることはあっても、その他では滅多に紙面に載ることが少ない町。この機会に町の名を世界中に知らしめて、投資家の目に留まれば、言うことなし。(トヨタの子会社が郊外にあります。)しかし、困ったことに100万人もの参加者を収容できる適当な場所がない。市内パレードを許可すると、酔ぱらった参加者に信号、標識を壊される上、住民からの苦情が殺到するので、「邪魔にならない」郊外で開催する必要があった。そこで見つけてきたのが線路の脇にある空き地。線路の脇は騒音がうるさく、住宅地としては価値がないので、デュッセルドルフでも線路の脇には広大な空き地がある。この案の最初の欠点は、この空き地に達するのは唯一の道しかなく、しかも比較的狭いトンネルをくぐってのアクセスしかない点だった。その次の欠点は、この空き地は最大25万人を収容できるが、予想される100万人もの入場者を収容するスペースはなかった。

この為、地元の消防は、「トンネルが狭くて危険だ。この空き地は開催地として適していない。」と、市に報告。ところがこの警告は、「ワインに水を注ぐ者」の言い草として無視された。同時にラブ パレード主催者は、参加者25万人(予想)で、デユーイスブルクにパレードの主催を申請、これが許可された。いつもなら重箱の隅をつつくようなドイツの官僚が、「毎回100万人を越える参加者が、今年は25万人というのはおかしい。」と、疑問をもたなかったのが不思議だ。又、主催者側でも、どうして今回は25万人の参加者、過去の1/4という数字になったのだろう。多分、このパレードの主催に町の名声を賭けていた市の上層部が、100万人じゃ許可が下りないから25万人で申請するように入れ知恵したのかもしれない。そして実際には、このラブ パレードには140万人もの参加者が訪れた。25万人の収容能力しかない会場に、140万人である。冒頭で述べたタイのボートの船長だってそんな無茶はしない。

こうして悲劇は、起こるべくして起きた。17時になっても参加者がトンネルをくぐって会場に達しようとするが、すでに会場ははちきれんばかりに一杯で、立錐の余地もないほど。後ろからの圧力に耐え切れなくなった参加者が梯子を伸びって逃げようとしたら、ここから転落してしまう。これがパニックの開始点となった。我の命を救うべく、見境なく押し合いが始まった。逃げれる者は逃げよ!"Rette sich, wer kann!"である。こうして発生したパニックで20名が死亡、500人を超える参加者が重軽傷を負った。当初は「1名死亡」の報道だったが、時の経過と共に死亡者数が15名まで上昇すると市長は記者会見を開き、「市に責任はない。」とまず最初に責任を拒否した。翌日には死者の数が19名に上り(月曜日には死者数は20名に上昇。)、上述の消防の警告書が見つかると、市に対して非難の声が高まっている。それでも市長は現時点ではまだ責任を拒否しているが、長続きはしないだろう。ドイツにはアジアにはない安全措置があるだけに、この悲劇は、政治家の配慮がなければ避けられた悲劇だった。

市長のザウアーランド氏は頑なに辞任を拒否。というのも今、辞任したら楽な余生が後れる公務員年金が支払われなくなり、社会保護を受ける老後が待ち受けているからだ。この態度は市民の怒りを買い、公の席に出るたびに、ケチャップ攻撃を受けている。それでも己の老後の為に辞任しないのだから、ドイツ人のふんばりには、シャッポを脱ぐばかりだ。


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会場に通じる唯一のトンネル、Todes Tor。


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壁に押し付けられて、パニックが起こる直前。


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いざパニックが起こると、


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Rette sich, wer kann!


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と、観衆は逃げ惑い、


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倒れた観客を踏み殺した。

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