本音と建前 (26.12.2010)

欧米人は建前と本音の使い分けがとてもうまい。中国政府が天安門事件に関する記述をインターネット上で禁止したり、これに服従しないgooleを「営業許可を更新しないぞ。」と脅かすと、「報道の自由」、「意見の自由」を求めて中国政府をこき下ろす。その同じ政府が、自分に都合の悪いニュースが公表されると、このニュースを流した新聞社に圧力をかけて闇に葬ろうとする。このような都合のいい考え方をダブル スタンダード(英語)、Doppelmoral/ドッペルモラル(ドイツ語)と言うが、最近有名内なった事件は、この欧米人の行動を象徴する顕著な例なので、これを取り上げて、考察してみたい。

2009年、中国の人権擁護運動家、Liu Xiaobo氏が政府を非難した為に11年の懲役刑に処されると、欧米の政府は一眼となってこれを非難した。「報道の自由」を、西側のように「中国政府も尊重しなさい。」との要求である。それだけでは不十分だと感じたようで、2010年にはLiu Xiaobo氏にノーベル平和賞まで授与した。その同じ西側政府が、Wikileaksにて政府がひた隠しにしていた事実が公表されると、ニュースが載せられていたサーバーを止めて、その責任者をインターポールにて指名手配、挙句に牢屋に放り込むのだから、どんなに厚い顔の皮をしていれば、中国政府にその反対の行動をするように求める事ができるのだろう。欧米人のダブルスタンダード(二重モラル)振りには「あいた口が塞がらない」。実は40年ほど前、今回のWikileaksの暴露記事のさらに上をいく国家機密漏洩事件があったが、ご存知だろうか。

ベトナム戦争中、ペンタゴンが戦略の考案を依頼していたシンタンクのチームにDaniel Ellsbergという人物が居た。エルスバークはハーバ-ド大学卒の優れた頭脳に加え、米海兵隊の将校という稀なキャリアを持つ、机上の論理だけでは満足できない実際(行動)家だった。エルスバークは戦略の立案にあたり、ベトナム戦争に勝ち目があるかどうか、あるならどのような戦略を取るべきなのか、自分の目で見る必要があると判断、小銃を自前で調達すると危険な索敵パトロールに「民間兵」として参加した。現場の状況を自分の目で見てきた氏は、「独裁政権の南ベトナム政府は民衆の支持を受けていない上、米軍にはジャングルのゲリラ戦を効果的に戦うノウハウを持っておらず、戦争に勝つのは不可能。」と判断、たまたま帰国時の飛行機に同席していた時の国防大臣、マクナマラにこれを正直に告げた。これを聞いたマクナマラが、エルスバークの判断を疑うことなく受け入れたのには、エルスバークも驚いた。実際家で知られるマクナマラは、幻想を抱かず、そのような結果を予想していたのかもしれない。その同じ人物が米国に到着して記者に取り囲まれるや、「今回の視察で、米国がこの戦争に勝利する確証を得る事ができた。」と発言するのを見て、エルスバークは政治家でない事の幸運を実感した。

その後、勝てない戦争に米国がB-52の爆撃機を投入、ラオス、ベトナムで300万人の死者を出す大惨事と発展した。それも米国の面子を救うだけの為の、絨毯爆撃である。当初は米国政府の戦争宣伝を信じていたエルスバークだが、戦前、ケネデイ大統領がマクナマラに依頼して作成していた米国の戦略レポートを読んで、その態度が180度転換する事になる。そこには南ベトナムに傀儡政府を設けると、米軍を派遣、北ベトナムの攻撃を捏造して戦争に持ち込む長期戦略ばかりではなく、戦闘で捕らえたベトコンの効果的な拷問方法まで、民主主義を標榜する国家の戦略とは思えない内容が念密に書かれていた*。これを読んだエルスバークは、実際家らしく、この戦争をできるだけ早く終わらせるべく行動に出た。この秘密書類を数ヶ月に渡って自宅に持ち帰り、こっそりコピーして、新聞社に渡した。

最初の記事が新聞に載ると、それはものすごい騒ぎになった。ニクソン大統領はあらゆる手を使ってこの公開を抑えようとした。まずはニューヨークタイムスを発禁処分にしたが、今度は他の新聞に後続記事が続いた。ニクソンがこの新聞社も発禁処分にすると、今度は別の新聞社が後続記事を載せた。頭のいいエルスバークは、ニクソンの反応を予想して、一社だけでなく、米国中の何十社にこのコピーを渡していたのだ。(ちょうどインターネットのように、情報を中央で一括管理をしないエルスバークの妙案は功を奏した。)怒りで自制を忘れたニクソンは、エルスバークを牢屋に放り込むため、ウォーターゲートビルにスパイを送り込んで証拠書類を調達させようとした。ウォーターゲートビルには民主党の事務所も入っていた為、この事件はウォーターゲート事件として名を派して、大統領への辞任へと発展したので、ご存知の方も多い筈だ。この事件発覚後、検察側は盗難で手に入れた証拠ではエルスバークを牢屋に送り込めないと判断、訴えを取り下げて、エルスバークは戦争反対派の大ヒーローとなった。もしエルスバークがいなければ、戦争はもっと長く続いていただろうから、たった一人の行動で何万人もの生命を救った事になる。

創始者の意図が何処あるのかわからないが、Wikileaksの既成権威に対するその活躍ぶりは痛快。まさに現代版エルスバークで、通常なら知る事ができなかった情報を提供してくれる。例えばドイツ生まれのアラブ人がCIAに誘拐されて、アフガニスタンの刑務所に連行されて拷問を受けた事件。ドイツ政府は、「そんな事実はない。」と否定し続けていたが、Wikileaksは事実を明かしてくれた。そこにはCIAが他のテロリスト間違ってこのアラブ人を誘拐した事を認め、同時に、「米独関係の悪化を避けるため、事件の追及を自粛するように。」と、ドイツ政府に「見て、見ないフリをしないさい。」と、要請しているその厚かましい態度が描かれていた。そしてまるで子犬のように、米国の要求を着きれて尻尾を振るドイツ政府の行動が、白日の下にさらされた。自国民が外国の諜報機関に誘拐されて、拷問まで受けて、その事実を否定するドイツ政府に、自分が同じような境遇にあった際、違った行動を取ってくれるように望むのは、無理な事だろう。

しかし、もっとも痛快なのが米国の駐ドイツ大使が本国に報告したドイツの政治家の描写だ。外務大臣のヴェスターヴェレ氏は、虚栄心が強く、無能、怒りっぽく、アメリカに敵対的と見事な描写がされている。バイエルン州知事の古狸、Seehofer氏については、「外交については何も理解しておらず、人気取りの為ならどんなことでも行なう政治家で、予見が難しい。」と、これまた正確な描写。大蔵大臣のショイブレ氏は、「怒りっぽい老人で、神経症患者。」と、これまた手厳しい描写である。一番面白いのがメルケル首相の描写で、「危険を避ける事を最優先しており、アイデアに乏しい。」だけでは済まず、「どんな助言も、首相に当たっては跳ね返すだけで、テフロン メルケル。」と、アメリカ人らしく実にわかりすい言葉で描写されている。この辺ならまだ笑って済むが、中東事情はそうはいかない。イラン以外のアラブ諸国が秘密のアラブリーガを組んで、米国がイランへ侵攻、核開発を武力で止めるように要請しているなど、危なっかしい事実まで公開されている。

さて、Wikileaksの記事でまずい立場に置かれた駐ドイツの米国大使だが、そのリカバリーは見事だった。逃げ隠れせず堂々と記者の質問を受けると、「何でそんな大騒ぎをするのかよくわからない。すでに皆が知っている事じゃないか。」と、記者団に質問を投げ返す見事な対応。もし、「記事の内容は事実と異なる。」などとコメントしていれば、駐ドイツの米国大使は「平気で嘘をつく。」と、さらに非難の材料を提供する事になっていただろう。そのような無駄なあがきをせず、又、記事を肯定も否定もせず、「皆、すでに知っている事じゃないか。」と、ニュースの価値を疑う老練な外交官の見事なコメントだった。

* このレポートの犠牲になったのは、ベトナム、ラオスだけでなく、カンボジアも含まれる。日本降伏後、再びこの地を植民化すべく「のこのこと」やってきたフランス軍に、北ベトナムとカンボジアは同盟を組み、お家芸のゲリラ戦で抵抗を開始した。インドシナ半島に派遣された司令官のまずい戦術判断で、フランス軍がディエンビエンフーの戦いで大敗を喫すると、その後の和平会議でカンボジアの独立と北ベトナムの独立が認められた。その後、カンボジアで王座に君臨したのは、いわくつきのシハヌーク国王だ。この国王は5回も王位に即位するという世界で例を見ない離れ業を成し遂げているが、毎回、主導権を握った側に乗り換えするという、その風見鶏のような性格の賜物。そのシハヌーク国王は、独立を助けてくれた(北)ベトナムが戦争中、カンボジアの領土を利用して南に戦略物資を輸送するのを見ても、これを妨げる努力をしなかった。これが気に入らない米国は、ノル将軍をそそのかして軍事クーデターを決行、将軍にカンボジアの実権を握らせた。亡命先の中国で王座への復活を夢見ていたシハヌークは、これまでは敵であった(中国のバックアップを受けた)クメールルージュ(赤いカンボジア)と同盟を組むと、米国の傀儡政権をプノンペンから駆逐、プノンペンに帰還して再度、王位に即位する。その後、ポルポトと仲たがいをした為に王座から蹴り落とされて、タイ国境の島にて軟禁される。今度シハヌークの救出にやってきたのは旧友の友、北ベトナム軍である。ベトナム戦争に勝利した北ベトナム軍は、カンボジア領内に住むベトナム人をクメールルージュの大虐殺から救うため、カンボジア領内に進軍、プノンペンを占領するとシハヌークは有り難く王位に即位した。これが気に入らないのが中国。ベトナムを懲らしめるためベトナム侵攻を開始するが、戦争経験豊富なベトナム軍の抵抗に遭い、大量の死者を出して撤退する。

つまる処、米国の筋書きによりカンボジアでは220万人ものカンボジア人が虐殺され、カンボジア全土には第二次大戦中に日本に投下された爆弾の3倍もの爆弾が投下されて20万人もの死者を出した。インドシナ半島でみれば、米国の戦略によりカンボジア、ラオス、ベトナムで6百万人を超える死者を出した事なる。ラオスには一人頭2.5トンの爆弾が投下されて、「世界一の爆撃高」を誇っているが、米国は今日まで1セントたりとも賠償金を支払っていない。これが米国の唱える民主主義であり、ダブル スタンダードの見本的存在ではないだろうか。


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本音と、


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建前。



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