見ざる、聞かざる、言わざる。 (15.03.2010)

日本ではあまり馴染みのないキリスト教。その中でも昔の慣習を厳格に守っているカトリック宗派は、その教理の実施において社会問題になるケースが少ない。2000年も前の慣習を、今の社会にそのまま適応しようとするのだから、まあ、これは当たり前。ドイの学校は聖書の教えではなく、ダーウインの論理で人類の誕生の授業が行われるのが、「敬謙な」カトリック教徒には気に入らない。そこで両親は学校へ子供を送らないで、自宅でガチガチのカトリック教の授業を施すので、問題になっている。

先進国のドイツでこの様だから、発展途上国ではもっとひどい。カトリック教は避妊を「神の意思に叛く物。」として断罪、そのおかげでカトリック教が根強く浸透しているフィリピン、特にそのスラムでは、食べ物も十分にない家庭に子供が7~8人も生まれるので、お先真っ暗。そのような環境下に生まれた子供は、乞食や泥棒にならざるを得ないが、これも「神のご意思です。」で済まされてしまい、問題が改善されるどころか、悪化するばかり。この貧困を見かねた人権団体がコンドームなどの避妊措置を導入しようとすると、カトリック教会から「神の意思に背く行為。」と、猛反対されてしまう。そのちょうど逆が、「宗教は阿片。」との立場を取る共産主義最後の砦、中国。子供の数を制限する制度が導入されて、人口の爆発を抑えることに成功した。勿論、これは民主主義的な措置ではない上、さまざまな弊害引き起こしるが、フィリピンの状況と比べれば、「まだマシ。」だ。

カトリック宗派の問題は、現在のローマ教皇が、「夫婦間でどちらかがエイズに罹った場合でも、コンドームを使用するのは、神の意思に叛く。」と、平然と数千年前の掟を現在でも強要している点に集約される。いい例があるので紹介しよう。ドイツで人気の(最近は落ち目)No Angelsというグループがある。このグループのメンバー(女性)が週末になるとデイスコで男性を捕まえては、気楽な性活動に堪能していた。それは個人の自由であるので、何も非難される謂れはないが、彼女はエイズに感染していた。果たして彼女がカトリック教徒なのか知る由もないが、教皇の要求する通り、避妊しなかった。結果は長く待つまでもなく、その男性の一人がエイズに罹り、彼女を傷害罪で訴えたから、それは大きなテーマになった。ドイツではエイズに罹っていることを知って、性行為に及んだ場合、傷害罪に問われる。(勿論、うつされた場合。)つまりは教皇は、エイズ感染者に傷害罪を犯すように奨励していることになる。この事件がきっかけで、ドイツ国内ではカトリック教のコンドームの使用を断罪する態度に非難が集中したが、教皇は先に述べた通り、コンドームの使用をいかなる状況でも許さないと、その態度を崩していない。この頑迷な態度が原因で、教皇はドイツ人であるだけに、熱烈なカトリック信者でない限り、教皇はドイツで人気を落としている。

大体、性欲などは人間の食欲、睡眠欲などと同じレベルの基本的欲望。無理をして「我慢」したところで、一生、なしで済まされるものではない。おまけに無理に辛抱すると、返って欲望が強くなって、制動が利かなくなる。だから同じキリスト教でも改革派のプロテスタント宗派は、無理な理想に縛られず、司祭が結婚するのを認めている。しかしカトリック宗派では、これを未だに理解していない。だから、教会の司祭が性欲のはけ口として、教会や教会が経営する学校に通っている子供に性的暴行を加える事件が後を絶たない。数年前には米国で、その後、スイスでもこうした犯罪が明るみに出て大きな問題になったが、今回はオランダ、ドイツ、オーストリアで次々に明るみに出て、再び大きな問題になっている

うした問題が報道されると教会は、"Ein bedauerlicher Einzell."「残念ながら起きてしまった唯一の事例。」と、声明を出し、問題を一部の異端者の犯罪として、軽視してきた。しかし、今回は被害に遭った子供の数が多すぎた。さらにはこの事件がドイツだけでなく、欧州全域に広がりを見せると、「唯一の例外」では済まされなくなってきた。これに加え、こうした「聖職者」の「悪事」が報告された場合、その地区の司祭がこの事件を警察に報じることなく、子供に乱暴をくわえた職員を別の地区に転勤させていた事実もカトリック教会のイメージを失墜させるのに貢献した。こうした教会側の手厚い保護のお陰で、「前歴」のある聖職者は、一向に罰せられる事無く、また転勤先で堂々と働き、またしても悪事を働くことが可能になった。これはもう「道を踏み外した子羊の仕業」では済まされず、カトリック教会全体の問題である。

このような問題が報道されると、カトリック教会が反省するとか、思い直すとか思ったら、大間違いで、教会関係者は、「こうした子供への性的虐待は、何も教会だけの問題ではない。」と、問題をすり替え始めたから、流石はカトリック宗派だけのことはある。勿論、戒律を破って性的行為に走るのは、キリスト教の司祭だろうが、仏教の坊さんだろうが、こうした戒律をもっている宗教に共通の問題である。例えばタイなどでは、毎週のように坊さんの珍道中報道されており、こうした行為は、子供への性的暴力でない限り、日常茶飯事でもはや大衆の興味さえかきたてなくなっている。その点では、この教会関係者の言うことは正しい。しかしカトリック教会の問題では、性的暴力の対象になるのがいつも子供であること、又、これを隠そうとする教会の努力があったことを忘れてはならない。こうした事実を無視して、被害者に詫びる代わりに、まずは自己の弁護をするのは、いかにも西欧らしい行動だ。

この子供への性的虐待が報道されると教皇は、「大いに動揺しており、深い謝意を感じている。」と、声明を出したが、果たしてどこまで本気なのかわからない。というのも、教皇が司祭をしていたレーゲンスブルクの教会でも子度への虐待が報道されている上、この被害者は、「Ratzinger(教皇の名前)は、聖歌の練習で気に入らないと、怒って椅子を投げつけてきた。」と、語っており、「聖人」の聖人ならざる行動振りが報道されている。実際の所、教皇が当時、同じ教会内で「兄弟」が何をしているのか知らなかったというのは信じがたく、それよりも教会内の「(都合の悪い事は)見ない、聞かない、言わない。」という風潮に従って、これについて知っていながら、敢えて追求しなかった可能性の方が高い。さらに教皇は今回の事件に際しても、聖職者の性生活禁止は、カトリック教会の貴重な資産と語っており、一向に改善をする様子さえも見せていない。お陰で将来も、今回のような子供への性的暴力はなくなることはないだろう。


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100件を超える性的暴行の訴えがあったベルリンの学校。


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