Der Plagiator (08.03.2011)

権力に執着する人は、これが命取りとなり、お金に執着する人は、これが命取りとなるケースが多い。前者はヒトラーやムッソリーニ、現代ではリビアやエジプトの「大統領」がこれに当てはまる。後者はマカオや香港のカジノを一度訪問すると、金銭欲が人生を台無しにしていく様子が手に取るようによくわかる。では、虚栄心が人並みを外れて強い人(一般にナルシストと言う。)には、どんな危険が潜んでいるんだろう。これを実例で示すいい事件があったので、ここで紹介してみたい。

2年半前、当時の経済大臣が党内の「イジメ」に遭い、経済危機のど真ん中でやる気をなくして辞職を表明した。これまでの扱いのお返しに、Faxで辞表を送るという方法で辞職して、バイエルン州の保守政党CSUは上へ下への大騒ぎになった事は、ここで紹介した通り(参 戦意喪失)。ここで一躍経済大臣に抜擢されたのは、バイエルン州の片田舎Guttenbergの領主、Zu Gutteberg氏だった。グッテンベルク氏はこれまでCDUの総書記長であったが、氏の母親がドイツ第三帝国の外務大臣(つまり戦争犯罪人、しかもA級。)の息子と結婚している事を除けば、全国政治ではまだ全くの無名だった。経済大臣に就任したグッテンベルク氏は、他の政治家なら人気を落とす危険があるので言明を避ける事をはっきりと言明して、最初は批判を受けたが、氏の指摘が誤りでない事がわかると、めきめきと頭角を現してきた。しかし、氏のあまりにも露骨な演出方法は目に余るものがあった。オペル救済という名目で米国に飛ぶと、関係のないニューヨークに滞在、記者団を連れて外出、記念写真を撮るその姿は、かっての宣伝大臣の露骨な宣伝方法を髣髴とさせた。

この傾向は、氏が国防大臣に就任してから、さらにひどくなった。国防大臣がドイツ軍が駐留してるアフガニスタンを訪問するのは当たり前だが、これに奥さんや、テレビの司会者まで国費で同行させて、現地でトークショーを開催するのは、果たして兵士の慰安なのか、それとも大臣自身の宣伝なのか、はっかりしなかった。ちょうどこの頃、ある週刊誌がグッテンベルク氏がバイロイト大学の博士課程で書いた論文の一部が他の著作からのコピーであると、実例を挙げて報道した。このニュースが広まると、これまでは喜んでカメラの前に立っていた国防大臣は、インタビューを恐れてアフガニスタンに高飛びした。国防省には、「大臣の帰国はいつですか。」と、問い合わせが殺到したが、「安全確保のため、大臣の帰国日は明らかにされません。」と、うまいいい訳を使用して、記者団に会うのを避けた。しかし、久々のスクープを狙う記者団はそのくらいでは諦めず、首相官邸前に野営して、国防大臣が帰国してくるのを待っており、逃げ切る事はできなかった。

アフガニスタンから帰国すると、この日予定していた地方巡業をキャンセル、首相官邸に直行する様子が全国ニュースで報道された。ここでメルケル首相に、事態の釈明をしたようだ。翌日、首相官邸にて定期の記者会見が開かるので、国防大臣に関して何からニュースがもらえると期待して、大方の記者は首相官邸に詰めかけた。国防大臣はこの機会を利用、記者団が首相官邸に集まっている隙に、仲のいい記者のみを国防省に集め、「数百ページもの論文中、他の論文から引用した旨、注釈をつけるのを一つ二つ忘れただけ。」と声明を出すと、質問を一切受けず、早々に国防省内に退却した。首相官邸にて、「今、国防省で大臣が同時に会見を行なっている。」と聞かされた記者団は激怒、「この卑怯なやり方は大臣の独自の判断なのか、それともメルケル首相の指図なのか。」と厳しい質問を出した。政府のスポークスマンは、記者団の抗議を無視して政府の公式発表を続けようとしたが、記者団は会場を引き払うという抗議に出て、この記者会見は見事なスキャンダルになり、これまた全国放映される事になった。

これまでは喜んで記者団の前に出てきた国防大臣が、まるでドラキュラが日光を避けるように記者団を避けるのは、奇妙な光景だった。国防大臣が公の場に出るのは、支援者を集めた会場の場だけ。支援者からの拍手の喝采を受けると勇気が出たのか、「このくらいの逆風では、バイエルンの大木は倒れない!」とやり、さらに記者団を挑発した。この頃から国防大臣は、贋作(Plagiat)を作る人(Plagiator)との異名をいただいき、大臣が博士のタイトルをもらった論文がインターネットで公開されて、国民を挙げての「あら捜し」が始まった。すると出てくるわ、出てくるわ。おまけに最後には国会議員の立場を利用して、国会の調査機関に依頼して手にした報告書の内容まで勝手に引用されている事まで発覚した。(国費で調達した資料を勝手に私用で引用するのは、違法行為である。)

注釈を付けないで引用された箇所が、大臣の言う「一つや二つ」ではない事が明らかになると、「大臣は論文を自分で書いたのではなく、ゴーストライターが書いたんじゃないか。だから、論文の間違い、つまり引用箇所がわかっていない。」とまで、真実味のありそうな噂まで出てきた。ある週刊誌は、グッテンベルク氏は2009年にドクターのタイトルを正式に獲得したのに、2007年から勝手にドクターのタイトルを使用していた事まで暴露した。さらには氏が堂々と公開している履歴書が、随所で拡大解釈されている事も指摘された。新聞社にての数週間の研修が、氏の履歴書では「フリーのジャーナリストとして活動」となり、学生時代の米国研修が、「フランクフルトとニューヨークにおける職業上の駐在」となっていた(その他多数)。まさに虚栄心の強い人間がとりそうな行動だが、公爵で大金持ち、そして国会議員、それも大臣が、そんな手を取る必要があったのだろうか。

ここまで過去の「業績」が暴露されると、グッテンベルク氏はバイロイト大学にドクターのタイトルの「休止」を申し出た。バイロイト大学は当初、「非難が正当なものかどうか、じっくり調査する。」と言っていたが、政治的圧力からか、事実関係を調査しないで、「グッテンベルク氏の要求に応じて、タイトルを失効す。」と発表した。「これで一件落着。」と思ったのかメルケル首相は、ビデヲメッセージを流して、「私はドクターのタイトルのため、グッテンベルク氏を国防大臣に任命したのではない。氏の仕事振りを信用している。」と、背中を後押した。ところが今度は思わぬ方面から、白羽の矢が立った。ドイツでドクターのタイトルを持っている学者が集まって、「贋作でドクターのタイトルを騙し取った国防大臣を弁護する首相は、学問を軽視している。」と5万もの署名を(インターネットで)集めて、公式に抗議した。

ドイツ国内は、グッテンベルク派と、反グッテンベルク派に分かれて議論に沸いた。国民の過半数は「たかが一部を写し書いただけじゃないか。」とか、「誰だって、一度くらいそういう方法を取った事がある筈だ。」と、グッテンベルク氏を擁護した。逆に宣伝に免疫のある人(学識者)の多くは、「国家議員は国民の模範であるべきで、詐欺を働いた人間が堂々と大臣に納まるようでは、詐欺を薦める事になる。」と、これまた一理ある論拠を挙げた。すると擁護派は、「氏の仕事振りを見ろ。ドイツ国防軍の大改革は、氏なしでは不可能だった。」と言えば、反対派は、「氏が提唱した駐屯地の廃止、改革による税金の節約など、まだ何一つ実行されていない。」と、見事にやり返した。

話は2年前に遡るが、グッテンベルク氏は国防大臣就任の際、「(これまでのように)軍需産業が好きな値段を言い、ドイツ軍がこれを黙って購入する時代は終わった。今後は、国際市場にて一番優れた軍備を購入する。」と、ドイツの軍需産業に警告を発した。大臣のこの公約を試す機会は意外に早くやってきた。独仏合作の欠陥会社EADSが、「軍事輸送機A400Mの値段を上げてくれないと、製造できない。」と駄々をこね始めた。国防大臣は当初、「契約は契約だ。変更はしない。」と、6億5千万ユーロの追加支払い要求を蹴った。ところが数ヵ月後にはEADSとこっそり新契約を結び、EADSの要求した請求額を全面的に受け入れてしまった。氏の公約、「軍需産業が好きな値段を言い、ドイツ軍がこれを黙って購入する時代は終わった。」は、何処に逝ったのだろう。

グッテンベルク氏は、研究論文の真偽について国会にて、野党の質疑に応じる事になったが、その際のグッテンベルク氏の表情は、怒りと恥の入り混じったものだった。氏は当初、「注釈を一つ二つ忘れただけ。」と、まだ論文の正当性を主張したが、今度は、「論文には間違いがある。」と、少し内容が異なってきた。しかし、あくまでも論文中のコピーは過失であり、故意に行なったものではないと主張した。そのようないい訳に野党が満足する筈もなく、「本当に自分で書いた論文なら、コピーしたかどうか、本人が真っ先にわかってる事だ。これが未だにわかっていないのは、自分で書いていないからだ。」と、厳しい指摘が続いた。特に緑の党、Trittin氏のトーマスマンを引用した非難はほれぼれするほど見事で、グッテンベルク氏の表情は苦しみに満ちていた。虚栄心が強い人間にとって、間違いを公に非難されるほど、堪える事はない。

2月27日の夕刻、ハノーファーにてメルケル首相は、世界最大のコンピューター見本市、CeBITの開会を宣言、会場を視察して回ったが、突然、首相の携帯電話が鳴り出した。「首相の公務中に携帯電話が鳴るなど、これは大きな事態に違いない!」と、記者団は、首相がSMSを読む場面を逃さず撮影した。この日の夜になって、「グッテンベルク氏、辞表を出す!」と、ニュースが流れ、SMSはグッテンベルク氏からの辞任表明であった事が明らかになった。しかし、メッセージを読んでいるメルケル首相の表情は、あまり驚いているように見えず、一緒にメッセの視察に来ている仲のいい法務大臣にメッセージを見せるなど、「余裕」のあるものだった。首相は国防大臣の辞任を予期していたのだろうか。翌日、辞任会見に臨んだグッテンベルク氏は、「兵士をマスコミの卑怯な攻撃から救うため、辞任する事にした。」と、最後までグッテンベルク氏らしい辞任理由を述べ、辞任の責任はすべてマスコミにあると断罪、氏の犯した間違いには一言も触れる事はなかった。

このグッテンベルク氏の最後の演出は、ある程度、効果があった。氏の支援者は、マスコミのグッテンベルク叩きに憤慨、大臣の辞任後、ドイツ各地で(辞任)反対デモが起きる事となった。ドイツに長く滞在している著者だが、辞任した大臣を支援するデモが行なわれたのは、これが始めてである。これまでの氏の宣伝がどれだけ効果覿面であったか、また、政治家として宣伝がどれだけ大事か、よくわかる事例であった。そうそう、氏の後任だが、通産大臣は名前が挙がる前に、「俺は嫌だからね。」と逃げを打った。グッテンベルク氏はCSUの党員なので、その後任者もCSUが出す「権利」を持つが、通産大臣が唯一、CSUの男性の大臣であった為、これで後任者がいなくなった。(ドイツ史上、女性の国防大臣は居ない。)この為、内務大臣のde Maizière氏が国防大臣に就任、空席になる内務大臣にはCSUの国会議員長Friedrich氏が就任した。新国防大臣は、仕事の初日にグッテンベルク氏の片腕であった秘書官をクビにして、前任者の路線からの離脱を明らかにした。一方、新内務大臣は、「イスラム教はドイツに属しない。」とやり、早々にイスラム教徒と野党に赤い布をちらつかせている。


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すっかりスター気分でポースを取るも、


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2年後にはあっけなく、辞任会見。


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