光と影 (14.03.2009)

去年の8月と9月に欧州航空業界の再編成を紹介した(忘れてしまった方は、こちらを参照あれ。)が、あれから幾つか面白い動きがあったので、ここで引き続き紹介してみたい。まず当時売りに出ていたオーストリア航空、通称AUAだが、2009年2月末、締め切りの3日前になってルフトハンザは正式なオファーを提出した。経済危機の深刻化で買収は棚上げになるかと思えたが、ルフトハンザは敢えてこの不況時にAUAを買収することにしたようだ。オファーの値段が高いので(もっと安い値段でもオーストリア政府は首を縦に振っただろう)、EU委員会が市場の寡占を理由に文句をつけなければ、今年中にAUAはルフトハンザに買収される見通しとなった。

これとは別にかなり以前から売りに出ていた万年赤字のアリタリア航空だが、エアフランスとKLMグループがアリタリア航空の株式25%を取得するオファーを正式に提出した。ベルスコーニ首相はルフトハンザからのオファーを(値を上げるため)形だけでも期待していたが、これは期待外れに終わった。もっとも今回の大不況で乗客の数が激減、エアフランス&KLMグループは大赤字を出しているので、このオファーを取り下げることも十分有り得る。親会社が赤字の時に、さらに大赤字を出す航空会社を買うなど、かってのスイス航空の大冒険よりもさらに大きな危険を含むからだ。

又、不況の煽りを受けて、ドイツ国内の航空業界でも再編成の動きが出てきた。ドイツで第二の規模を誇る航空会社、Air Berlinの歴史は面白い。この航空会社の設立はドイツの敗戦から始まる。ドイツ(ベルリン)を(分割)占領していた米国は、ベルリンへの離着陸権利をドイツ統一後も保持、米国のオレゴンから乗客をドイツに運ぶ路線を細々と運営していた。会社の名前はドイツでは完全に無名の存在であったが、この会社にこれまた無名で高卒のJoachim Hunold氏が就任してから、会社は彗星のように突然表舞台に現れて、大発展を遂げる事になる。

フノルト氏はデュッセルドルフ空港で、乗客の荷物を飛行機に積む肉体作業員をしていた。ところがただの作業員で終わらず、仕事場でその臨機応変な才能を発揮して上司の目に留まり、管理職に出世する。その後、デュッセルドルフのチャーター便航空会社、LTUに転職してセールス部門に就職するが、ここでもその才能を発揮、数年でセールス部門の部長に昇進する。その後、LTUの大株主であるWestLB(州銀行)と喧嘩をして会社を辞職すると、エア ベルリンの社長に就任する。ところがエアベルリンは慢性赤字経営であり、持ち主は買い手を捜していた。ここに一生に一度のチャンスを見たフノルト氏は銀行から融資を受けてエア ベルリンを買収する。その後。会社の路線を変更、ベルリンからドイツ人の大好きな観光地Palma de Mallorcaへのチャーター便の運行を始めた(1992年)。もっとも会社が保有(正確にはレンタル)していた航空機はたったの二機というかなりしょぼいスタートだった。ところが航空業界でたたき上げの人物だけあって、氏の経営戦略は大当たり、会社は始めて黒字を計上する。とは言え、ベルリンからのみ発着する航空会社では、その発展にも限界がある。勿論、他の都市からの離着陸権を獲得すればいいのだが、これには金と時間が膨大にかかる。そこで氏の注目は、会社創立以来、赤字経営のドイツBAに向けられる。

ドイツBA、略称はDBA、つまりドイツの英国航空という名前である。エア ベルリンと同じく、ドイツの敗戦時からドイツ国内への離着陸権を保持、ルフトハンザに抵抗できる航空会社に成長する夢を託して英国航空が長年経営してきた航空会社だ。実際には一度も黒字を出すことなく、英国航空のお荷物となっていた。そこでフノルト氏氏は2006年にこの航空会社をバーゲン価格で買収、これによりドイツ国内各地はおろか、欧州主要都市の空港の離発着権も手中に収めてしまう。こうしてエア ベルリンは氏が社長に就任以来、15年で無名の航空会社から、ドイツ第二の規模を誇る航空会社に成長する。「行け!行け!どんどん!」のフノルト氏は、続く2007年にはスイスの小さな航空会社Belairに続き、かって氏が働いていたLTUをも買収してしまう。まさに立場が180度反転してしまった。それだけでなはない。この勢いを利用してルフトハンザの子会社、Thomas Cook(正確にはその傘下のCondor)を買収しようとするが、この買収にはドイツの寡占監査局がエア ベルリンによる市場独占を懸念して、「ちょっと待った!」をする。フノルト氏はこの裁定に不服で再度申請をするが、実はこの裁定が氏の命運を救った。

原油高で飛行機のチケット価格が冒頭すると、氏が社長に就任してから乗客数が初めて減り始めたのである。これに加えて万年赤字経営のLTUは、氏の経営手腕をもっても赤字経営が続き、エア ベルリンの財政事情は厳しくなってきた。ここで、泣き面に蜂の経済不況が訪れる。氏は敏腕な経営手腕を発揮して、半年前に運行を始めた中国路線を直ちに廃止、その他の路線でも十分な儲けがない路線は飛行数を減らして行き、エア ベルリンの飛行機が地上待機をしている様が見られるようになった。まだ買収に成功していなかったThomas Cookの買収計画も取り下げると、アナリストはエア ベルリンの経営を不審な目で見るようになり、ある銀行はAir Berlinの株価目標を0ユーロと評価する。ところが2008年末の四半期のバランスシートでは不況にもかかわらずエア ベルリンは黒字を計上して、また周囲をあっと驚かし、氏の素晴らしい経営手腕を再び証明した。

編集後記。
エアベルリンが黒字を出したのでは、実はこれが最後にだった。以後、2012年まで赤字続きで株価も22ユーロから、2~3ユーロに暴落したままだ。倒産が噂されることもあったが、Etihad Airwaysほぼ30%もの株を買ってもらい、倒産を避ける事ができた。このまま赤字が続くと近い将来、Etihad Airwaysに買収されるかもしれない。
          

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「ガッツ」と優れた経営手腕で知られるHunold氏。

 
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