語るは銀、沈黙は金なり。(22.12.2012)

失言には2種類ある。赤面するものと、経済的な被害を出すもの。前者の代表的な例は、ドイツの(かっての)テニス界の星、ボリス ベッカー氏が「隠し子」について聞かれた際、「精子を盗まれた。」と自己弁護を試みた件だ。「(○○○にて)盗んだ精子で妊娠する事はほとんど不可能だ。」と医師が氏のいい訳を論破すると、よせばいいのに「あれは階段の上で起こった2分間の性行為。」と真面目顔で自己弁護を試みた。数え切れない氏の華やかな性生活も手伝って、氏は俗に言うスポーツhip.gif &ドイツ一のザーメン提供者として不動の地位を確立している。

これなら笑って済ませられるが、そうはいかないのが、もうひとつの失言だ。10年前(2002年)まで、ドイツには"Kirch-Gruppe"(キルヒ グループ)というメデイアの大企業が存在していた。創立者のキルヒ氏は50年代に映画、テレビ番組の放映権利を海外で購入、これをドイツで販売することで最初の富を得た。これをきっかけに、持ち前の商才を発揮して次々に新しい事業を開拓していった。大きな事業だけ挙げればテレビ局を4つも運営、さらには出版業で大きな成功を収めて、独自の映画製造会社までも作ってしまった。まだテレビ番組の数が乏しかった80年後半まで、ドイツの国政放送はもっぱらこのキルヒグループから番組を購入して放映しており、テレビ業界を牛耳っていた。当時、このグループの傘下にあった出版部門の"Axel Springer AG"だけで、今日30億ユーロを越える売り上げがある。わかりやすいように比較例を挙げてみよう。日本人なら誰でも知っている日本の小学館だが、年間の売り上げは1億ユーロ程度である。この数字を見れば、キルヒ グループがどのくらいでかいグループであったか見当がつく筈だ。氏はオーストラリア人のメデイア王、マードッフ氏と真っ向から勝負できる唯一のライバルだった。

グループの彗星のような事業拡張は、銀行の融資によって可能になった。「うまく行けば、儲かるから。」という言葉でキルヒ氏は、グループのメインバンクだったドイツ銀行から度々融資を受けてきた。氏はライバルが米国、欧州で大成功で収めているテレビの有料番組を模倣、1996年ドイツで有料番組の放映に乗り出した。ドイツサッカー連盟からスポーツの独占放映権、ハリウッドの映画の放映権を高い金を出して購入するにあたり、「これは儲かるから。」とハウスバンクを説得して融資を受けた。ところが有料テレビは、”Fernsehen macht dumm"(テレビを見ると馬鹿になる。)と言われている国、おまけに倹約家で有名なドイツ大衆には、全く受けなかった。有料テレビチャンネルが出す赤字は、かろうじてグループの他の分野で出している黒字で埋める事ができたが、銀行に借りている借金の返済をする事ができず、銀行とグループの関係が悪化した。

21世紀になると折からの不景気も手伝って、グループの業績が悪化がした。苦しい台所事情を改善する為、テレビ事業を外資企業に販売する交渉が始まった。グループのハウスバンクであるドイツ銀行の行動が注目されていたが、ここで銀行の頭取、Breuer氏はテレビのインタビューにて、「キルヒグループに再度、融資する用意があるか。」と聞かれた際、「グループの財政事情は危なく、さらなる融資は考えられない。」とテレビの前で語ってしまった。部外者の言葉なら、「根拠のない推測。」と一蹴にできただろうが、会社の財政事情を一番よく知っているドイツ銀行の頭取の言葉には重みがあった。これにより事業の売却がパーになったばかりではなく、グループが金を借りている銀行が一斉に融資の返却を求め始めた。世界中の銀行に融資を頼み込んだキルヒ氏だったが、ドイツ銀行頭取の言葉の後では、グループに融資してくれる銀行は見つからなかった。こうしてキルヒグループは2002年4月、会社更生法の適用を申請した。グループの負債額は650億ユーロにも昇り、ドイツ経済史上最大の倒産劇となった。

ゼロから作りあげたメデイア帝国が解体され、かってのライバルにグループが買い取られていく様を見せつけられて、キルヒ氏はドイツ銀行に報復を誓った。ドイツ銀行、すなわち頭取のブロイヤー氏の不適切な発言が会社の破綻をもたらしたとして、20億ユーロの損害賠償訴訟を届け出た。当然、ドイツ銀行は、「ブロイヤー氏の発言とグループの経営破綻には何も関係がない。」と無罪を主張したが、素人でも氏の発言がキルヒグループの破綻に大きな影響を及ぼした事は明きからかでった。(これを証明できるかどうかは別の話。)一体、ブロイヤー氏はドイツ銀行の頭取という立場にありながら、銀行の顧客について、何故、あのような発言を行ったのか。さまざまな憶測が交わされたが、「あの二人は水と油。性格が全くあわなかったので、相手に意地悪をしたいが為にあのような失言になった。」という失言説が一番人気が高かった。もっとも、「借金の担保として銀行に預けている"Axel Springer"出版社の株が狙いで、故意にあのような発言を行った。」とのキルシ氏の主張も、グループの倒産後、ドイツ銀行がこの株をまんまと手に入れたことを考えれば、信憑性がないわけではなかった。

こうして裁判闘争が始まったが、原告側はドイツ銀行がグループの破綻に責任がある事を証明しなくてはならず、「そんな事は到底不可能。」とドイツ銀行はあまり真剣に取らなかった。実際に地方裁判所はドイツ銀行に責任なしと判決、この事件は数多いこの銀行のスキャンダルの一つに過ぎないように思えた。ところがである。ドイツ銀行、ブロイヤー氏は、キルヒ氏を見くびっていた。一度や二度の敗退で諦めるような性格なら、単身で大帝国を築く事はできやしない。おまけにすべてを失ったキルヒ氏の最後の希望は、ドイツ銀行に一矢報いること。"Koste es, was es wolle."である。氏は有能な弁護士団を抱えるとミュンヘンの高等裁判所に上告した。こうして裁判は延々と10年もの長きに渡って続けられた。2011年にキルヒ氏は死去したが、遺族は氏の遺志を引き継いで、裁判闘争を続けた。

原告側の執拗な論拠に説得された裁判官は、和解案として7億7千5百万ユーロの損害賠償額を示唆した。原告/遺族側はこれを受け入れる用意があったが、ドイツ銀行はこれを拒否した。というのも、すでに裁判に勝ったつもりだったので、過去10年間、必要になるかもしれない損害賠償額を積み立てていなかった。ドイツ最大の銀行とはいえ、簡単に7億7千5百万ユーロ払えるものではない。こうして裁判は続けられ、2012年12月14日、判決が下った。「被告が行った言動は、ふさわしくない。」という一見あやふやな判決ではあったが、何処/誰に責任があったが、その所在は明確だった。もっともドイツ銀行の弁護士はこの判決を予想していたようで、この日は最高裁判所に上告する許可を求める努力に終始した。

最高裁判所がこの件を受理する可能性は低い。キルヒ氏がブロイヤー氏個人に対して起こした損害賠償裁判で、「銀行の頭取として行った発言では、個人ではなく、銀行に賠償責任がある。」と銀行側の過失を認める判決を下していたからだ。(この判決の結果、ブロイヤー氏は頭取を辞任した。)肝心の損害賠償額だが、最悪の場合15億ユーロまでの請求額が予想されており、この額はドイツ銀行が2011年に出した儲けの35%に相当する。これほど高くつく事になった失言は、何処を探してもみつからない。ドイツ人の言う、 "Reden ist Silber, Schweigen ist Gold"(語るは銀、沈黙は金なり。)は正しかったのだ。

編集後記
すっかりクリスマス気分の12月20日、検察はフランクフルトのドイツ銀行本部を強制調査、書類を押収した。銀行の責任逃れのため、法廷で虚偽の証言をした疑いがあり、検察が証拠書類を捜しに来たのだ。もしそのような書類が発見されれば、ドイツ銀行は空前の損害賠償額を支払うだけでなく、ドイツ銀行の(元)頭取は虚偽の証言で有罪判決を受けることになる。


倒産した人。
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倒産させた人。
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