最後に笑う者 (20.12.2014)

ドイツに、"Thueringen"という州がある。「ドイツには興味がない。」という人は名前すら知らない。「興味ある。」という人でも、何処にあるのかよくわからない。「ドイツに長く住んでいる。」という人でも、テユーリンゲンと聞いて思い浮かべるのは、"Thueringerwurst"(ドイツを代表するソーセージ)くらい。マニアックな人は、「V兵器の秘密施設があった。」というかもしれない。あまり知られていないのは、この州がかっての東ドイツにあった為。しかし州都のエアフルトには観光名所も多く、その中でも"Kraemerbruecke"は町人自慢の観光名所だ。

旧東ドイツは、旧西ドイツと政治的に異なる。東ドイツ市民はまずはナチス政権下で苦しみ、その末期にはソビエト軍の略奪行為に苦しみ、最後は共産主義の独裁下で苦しんだ。共産主義政権は、かっての旧敵ナチスよりも、新しい敵である西側自由を目の敵としていたために、「何が原因であのような狂気を招いたのか。」という根本的な解析が行われなかった。過去の反省を始めて、「意見の自由がなかったからだ。」なんて結果になると、これは共産主義政権に都合が悪いので、「ナチスは悪者。」で済まされた。

ベルリンの壁の崩壊して、東ドイツ市民は喜んだが、長くは続かなかった。東ドイツが西ドイツに併合されると、東ドイツのかっての国有企業は軒並み倒産した。井の中の蛙は、技術的にも、生産性でも、西側の企業には歯がたたなかった。東ドイツで失業が広がると、「悪いのは外国人。」という思想は、多くの市民の間で共感を得た。このような政治的な背景があるので、ネオナチの温床は東ドイツにあり、田舎では警察はネオナチの圧力に対抗できないほどの勢力を持っている。ドイツを震撼させた外国人を相次いで殺害したネオナチトリオもこの州に本拠地を構え、10年以上に渡って殺人を繰り返す事が可能だった。「木を隠すなら森の中」というように、ネオナチが多いので、隠れるにはもってこいだった。

もうひとつの特徴は、かっての東ドイツの独裁政権、SEDの後続政党、"Die Linke"(左翼)の支持層が多いことがあげられる。かっての西ドイツに政治の主導権を奪われている現状に東ドイツ国民は不満を抱えており、選挙になると極右と左翼政党を支持をして、その不満をぶつけている。かってのSEDの関係者は、今の左翼政党に熱烈な信奉を寄せている。その一方で、共産主義下で投獄されて苦しんだ市民も多く、左翼政党への敵愾心が最も高い市民が住んでいるのも、この地方の特徴だ。今年の9月にこの州で州選挙があったが、案の定、左翼政党が躍進して第二党になった。そして右翼政党AfDは、第四の勢力に台等してしまった。逆に敗北したのは市民ブロックのSPDとFDP。SPDは先回の選挙でも大きく議席を減らしたのに、今回もまた18議席から12議席へと、大きく議席を失った。もっとひどい惨敗はFDPで、たった2.5%の得票率しか得られず、州議会から姿を消した。

微妙なのがこれまで政権を担当してきたCDUの選挙結果だ。大量に議席を失った先回の選挙の汚名を返上、30議席から34議席まで回復する事になった。勝利はしたもの、単独過半数の46議席には程遠く、政権に留まるには連立のパートナーが必要である。過半数にはあと12議席なので、パートナーの資格があるのは、これまで連立のパートナーだったSPDと第二政党の左翼政党である。しかしCDUは左翼政党との連立を選挙前から拒否しているので、残るのはSPDしかない。ところがSPDには別の心配があった。今回の選挙では、州政府の手柄をすべてCDU/州知事が独り占めしたために、SPDには陽が当たらなかった。今後もこれまで通りの夫婦関係を続けると、次回はFDPの二の舞になりかねない。敗戦のショックから立ち直るとSPDはすぐにこれを悟ったので、CDUとの連立政権にはほとんど興味を見せなかった。こうしてCDUは選挙で勝ったのに、パートナーに欠けるという事態になった。

CDUが過半数を確保できない場合、もうひとつの可能性がある。それは左翼政党が主導権を握り、SPDと緑の党の3連立政権を組む方法だ。実は2009年の選挙でも左翼政党はすでに第二の勢力に躍進しており、左翼政党、SPD、そして緑の党で過半数を余裕で占めることが出来た。しかし当時、SPDの党幹部が党から離脱して、左翼政党の党首に納まった経緯もあり、SPDは、「左翼との協力はありえない。」とこれを頭から拒否していた。その結果、唯一可能な過半数の可能性、CDU+SPDの連立政権が誕生した経緯があった。あれから5年経って、当時の傷は痕が残っていたが、傷は癒えていた。さらに、「今後もCDUと連立を組めば、FDPのように存在意義を無くす。」とSPD首脳部は危機感を認識しており、「ペストかコレラ」の選択を迫られて、左翼(コレラ)を選択するのは然程難しくはなかった。

ところがSPDの支持者には、共産主義政権下で苦しんだ党員が居る。さらに左翼政党が、"DDR war ein Unrecht-Staat."(東ドイツは非合法国家だった。)と過去の清算を未だに渋っている事実も、共産主義下で苦しんだ市民、そして党員から不審の念を払拭する助けにならなかった。そこでSPDは州の党会合を開き、ここで左翼政党との連合を採決する事にした。同時に、連立政権に参加予定の緑の党、それに左翼政党も会合を開き、3党での連立政権の是非を問うことにした。一部党員からの激しい抵抗があったが、SPD党員は70%以上が左翼政党との連立政権に賛成、緑の党、左翼政党も党会合で同じ結論に達したため、いよいよドイツ史上初の左翼政党の州知事誕生に向けて、連立交渉が始まった。SPDが、"DDR war ein Unrecht-Staat."の一文を協定書に書き加えることを要求したので、交渉は長引いたが、3党首はこの協定書にサインをした。そして12月5日、州議会で州知事選出の選挙が行われることになった。

本来なら州議会での選挙は形式だけのものである。しかし、今回は連立政党は僅か1議席の過半数しかない。緑の党、SPD、あるは左翼政党の誰かが党首に「昔の恨みを返してやる!」と反対の投票をすれば、これまでの苦労は水の泡になる。9年前、選挙で勝利したCDUはシモーニス女史を州知事候補に推して投票に及んだが、CDUは僅か1票の差で過半数を制しているだけだった。そして誰かが、女史に恨みをもっていた。この誰かが反対投票をした、それも3回連続して反対投票したため、シモーニス女史はテレビカメラの前で涙を流して崩れ落ちた。結果、政権は野党のSPDが笑いながらかっさらい、女史は政界を引退する羽目となった。今回も同じようなドラマが展開されるのではないかと、ドイツ中が注目して選挙の経過を追った。

緊張して議員が見守る中、最初の投票が行われ、投票結果が発表された。獲得票は45票。最初の投票では過半数にたったの1票、しかし決定的な1票が足らなかった!この結果を聞いて、CDU陣営から喜びの声があがった。そして左翼陣営は、少なからず動揺した。面白い事に、本来反対票も45票ある筈なのに44票しかなかった。棄権票は1票、無効票も1票だった。連立政権を目指す側で、誰かがミスして投票が無効となり、CDU陣営の誰かが反対しないで、棄権したようだった。あるいはその逆か?緊張感が高まる中、2回目の投票が行われ、その結果が発表された。「賛成票46。」との声で議会は歓声に包まれた。こうしてドイツで初の左翼政党の州知事が誕生した
          
ちなみに二度目の投票では反対票は1回目からさらに1票減って、43票になっていた。CDUあるいはAfdの誰かが、左翼知事の誕生をコッソリ期待していたようである。大統領(かっての東ドイツの牧師で、弾圧に苦しんだ。)が左翼政党の州知事が誕生する事に懸念を表明したように、かっての東ドイツ市民の不信感は大きい。果たして州知事は市民の不審を払拭する事ができるのだろうか。
          

5年越しの夢がかなう。
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