あるマネジャーの栄光と失敗 (29.04.2015)

今でこそ日本でも大人気のアウデイ。しかし70年代は、かって(戦前)の栄光しか残っておらず、車の生産は続いていたが、当時(まだ)人気があったケーファー(日本語では間違ってカブトムシと訳されている。実際にはカナブン、コガネムシを指す。)や、74年に登場したゴルフと比べると、全く人気がない車だった。言う間でもなく採算の取れない赤字部門であった。この車種の建て直しを任されたのが、伝説的なポルシェ博士の孫にあたるピエヒ氏だった。

ピエヒ氏は一族の伝統を守ってポルシェで働いていたが、名前がポルシェでないばかりにポルシェ一族から冷遇を受け、最後にはポルシェ社から追い出されてしまう。そこでVW社に拾われて、技術責任者としてアウデイの建て直しに取り掛かる。すると氏はポルシェ一族にはない独創性を発揮して、次から次へと技術革新を行った。そのひとつが今日でもアウデイの代名詞になっている、"quattro-Antrieb"、すなわち四輪駆動だ。アウデイは今やVW社の中で、もっとも収益率がいい部門だが、これは氏の貢献なくしては不可能だった。その手腕を買われて、1993年、ピエヒ氏はVW社の社長に就任する。当時、VW社は会社自体が赤字経営。会社の建て直しの為、生産コスト管理で名高いGMのマネージャーを引く抜くが、これが大失敗。会社の収益は改善したが、無茶なコスト削減で品質が低下、VWは欠陥に悩まされることになった。(参 ロペス効果

大金をはたいて引き抜いたマネージャーを3年で首にすると、元々技術分野出身の氏は品質改善に取り組んだ。Bosch社で働いていたWinterkorn氏を引き抜くと、かっての自分の職場だったアウデイの技術責任者にする。その甲斐あって、VW社は欠陥を克服、2000年までには高品質な車を生産するようになった。その後、BMWから社長を引き抜くが、気に入らないのですぐに会社から放り出すという、ワンマンショーを展開。その後釜に据えたのがアウデイでその才能を証明したWinterkorn氏だった。VW社の会長に就任したピエヒ氏が、2007年、ヴィンターコルン氏をVW社の社長にすると、氏はその手腕をいかんなく発揮した。氏は車の品質を落さないで利益率を改善する離れ業を成し遂げ、車の販売により着実に儲けが出るようにした(当時は収益率が悪く、車を販売しても人件費、製造コストを考慮すると赤字になることもあった)。社長就任当時、赤字を出していた会社は今や人もうらやむような大きな黒字を出す会社に変身、会社の規模は数倍になり、2015年にはトヨタを抜いて世界一の自動車メーカーに成長した

ところが2015年4月、会長のピエヒ氏は週刊誌の記者に対して、「ヴィンターコルン氏への信頼を失った。」と語った。赤字経営だったVW社を、世界最大の自動車会社に成長させた社長の手腕の何処に不満があったのだろうか。一説には、ピエヒ氏はVW社の北米市場での車の売り上げが、BMWやメルセデスに勝てないのは我慢できても、日本車、とりわけトヨタ/レクサスに太刀打ちできないことに大きな不満を抱えていたといわれている。今や世界最大の車市場である中国では、VW、アウデイを含むドイツ車は日本車を軽々と追い越し、ドイツの車メーカーにとって最も重要なマーケットになっている。その次に大事な北米市場で、BMWやメルセデスはトヨタを凌いでいるのに、VW、アウデイだけは日本車の後塵を拝している。さらに肝心要のフォルクスヴァーゲンは収益率が悪く、販売台数は多いのに、それほど儲からない。確かにアウデイは収益率がいいが、しかしBMWはもっと収益率がいい。BMWに出来ることが、何故、VW、アウデイには出来ないのか。

この2点の改善をヴィンターコルン氏に期待していたが、相変わらずVWは北米市場でレクサスを追い越すことができず、BMWは毎年、新しい車種を導入、販売台数を伸ばし続けていた。高い収益率も手伝って、BMWは会社創立以来最大の利益を毎年更新した。「隣の芝生は青く見える。」の諺の通り、ピエヒ氏は大きな収益を上げている世界最大の自動車会社では我慢する事ができず、もっと会社の収益率を高めるには、別の社長が必要と判断した。そこで自分が引き抜いて、ここまで育てた社長を放り出すことにした(らしい)。あるいはヴィンターコルン氏がこれまでの実績を武器に、社内で影響力を増すことを恐れたのかもしれない。VW社の中ではピエヒ氏は神様のような存在で、その決定が間違っていても、これに反対できる者は居なかった。この権力を利用してピエヒ氏は、自分の奥さんを会社の取り締まり役員に就任させるなど、公私混同とも思える人事も平気で行ってきた。そしてピエヒ氏に見限られたマネージャーは、ポルシェの社長のヴィデイキン氏を含めて、首が繋がった例は一人もいなかった。

ドイツ最大の会社の内紛は大きな注目を浴び、「VW内での権力争い!」とテレビ、新聞は競って報道した。これまでの解任騒動では、ピエヒ氏はその企図を明確にする前に戦略を練り、VW社の株を保有するポルシェ一族を説得、役員には報酬を約束して見方に引き入れて、反対しそうな役員は首で脅して、あからじめ地ならしをしていた。このような背景があったので、ピエヒ氏に見放されたマネージャーを擁護する声は滅多に聞かれなかった。今回も同じ結果になるのだろうか。あれほど手腕を発揮したマネージャーでも、ピエヒ氏の前には歯が立たないだろうか。VW社は、メデイアの推測により会社のイメージが傷つくことを恐れ、「1週間後に声明を出します。」とコメント、役員が集まって対策を協議した。そしてその結果には少なからず、驚かされた。VW社はヴィンターコルン氏が取り締まり役員会の信任を得ており、社長に留まると発表した。

これまではピエヒ氏の決定、それが間違っていても、を支持してきたポルシェ一族が、「もうあの頑固親父には我慢ならない。」と反旗を翻した上、VW社の筆頭株主である、ニーザーザクセン州知事が社長の擁護に回ったのだ。理由は不明だが、ピエヒ氏は今回ばかりは緻密な戦略を練ることなく、週刊誌の記者に自身の企図を明かしたようだった。そしてその軽率な行動は、見事な反作用でピエヒ自身に跳ね返ってきた。VW社の取締り役会はピエヒ氏に対して、今後は軽率な行動を控えるように警告した。ピエヒ氏は、絶対の存在である自身に対して警告をする取締役会の厚かましさに、開いた口がふさがらなかった。氏がいなければ、今のVWはないのだ。その自分に対して警告を発する権利は取締役会はない。こうしてピエヒ氏は全役員会を敵に回してしまった。

4月25日、VW社はこの2週間で2度目の記者会見を行い、会長のピエヒ氏、そして取締役員である奥さんの役職からの辞任を発表した。噂では、役員会はピエヒ氏に自ら辞任するか、それとも役員会の権限において不信任案を採決して首になるかの二者選択を迫ったそうだ。これまで数多くのマネージャーを放り出してきたピエヒ氏だが、まさか同じ運命が自分にも下るとは、思いもしなかったろう。ピエヒはすでに78歳。普通の人間なら、孫と過ごすおじいちゃんだ。何故、このような高齢になっても、まだ権力に執着したのだろう。若い頃に経験したポルシェ一族からの冷遇が、権力と復讐に執着するように氏を変えてしまったのかもしれない。権力に執着するものは、権力に敗れるという古典の見本のような辞任劇であった。        

まだ仲の良かった頃の二人。(左がピエヒ氏。)
527.jpg
          
          
スポンサーサイト

Comment 0

Leave a comment