神の黄昏 (20.08.2015)

2010年、南アフリカでワールドカップが開催された。開発途上のこの国が、国をあげてのサッカー開催でどれだけお金を稼いだが、ご存知だろうか。36億ユーロもの大金を投入してスタジアムやインフラを整備したが、回収できたのはその投資額のわずか1/10で、大赤字で終わった。そのツケは市民が高い税金、機能しない社会保障で未だに払い続けている。では一体、「嘘!」のように高いテレビの放映権やチケットの販売、大企業が払った宣伝掲載費用は何処に消えたのだろう。

でかい金はすべてスイスにあるFIFAが回収した。FIFAはワールドカップサッカー開催の引き換えに、「チケット代金には税金を課してはならない。」、などと植民地政策のような一方的な条件を突きつけ、これを無条件に受け入れる国だけが、サッカーを招致できるとしているからだ。こうしてお金持ちのスイス人は、タックスフリーでますますお金持ちになり、貧しい南アフリカの庶民はますます貧しくなった。だからブラジルでワールドカップのサッカーが開催される前、市民が大反対をしたのも無理はない。政治家は、「ワールドカップサッカーを招致した人。」として顔と名前を売れるので開催に賛成だが、その代償を払うのは市民だ。そしてFIFAは好んで、開発途上国でワールドカップを開催する。というのも開発途上国では賄賂が当たり前で、FIFAの幹部がおいしい収入にありつけて、おまけに司法機関も腐っているので、訴えられる心配をしなくていいからだ。

FIFAでは賄賂が効果のある唯一の手段だが、これを口にだして非難する人の数は限られていた。証拠がないから、「謂れのない非難」として逆に訴えられるからだ。そして証拠を握っているサッカーのスポンサーは石のように口を固く閉ざし、賄賂をもらているFIFAの人間は清潔なイメージ作りに腐心していた。しかしドイツでは、「表現の自由」が認められているので、FIFAへの非難は激しいものがあった。すると「表現の自由は日本でも認めらています。」という方も少ないだろう。ドイツで一度、保守党の政治家がテレビの報道に気分を害してテレビ局に苦情を入れたことがある。すると報道機関は一斉に、「ドイツの民主主義の基幹である報道の自由を侵害する行為。」と非難した。この集中砲火に恐縮した政治家は、「そんなつもりはなかった。」と非難を取り消す事態に追い込まれた。しかし日本では某政党はメデイアに苦情を入れて、報道の仕方を変える圧力を平然とかけている。報道機関でさえ自由な報道ができなければ、個人が自由に意見を述べることもできない。

2015年、FIFAの会長選挙が告示されると、79歳という高齢にもかかわらず、ブラッター会長は再度立候補する意志を表明した。すると、「ブラッターの次は俺の天下。」と考えていた上層部にも、「あの老人は死ぬまで会長職から退かない。」とようやくわかってきた。選挙の2日前、チューリヒの高級ホテルでFIFAの幹部は会合を開いていた。そのホテルにチューリヒの警察が突入、6人のFIFAの幹部を逮捕してしまった。一体、何が起こったのだろう?実は海の向こう、アメリカはニューヨークの検察が収賄でFIFAの幹部への捜査を開始、スイスの検察に容疑者の身柄拘束を要請していたのだ。「スイスに居れば安心。」と何も不審をいだかない幹部が恒例の会議に出席する機会を狙い、現地の警察が会議場を急襲した。ホテル側はスキャンダルを隠すべく部屋のシーツを持ち出して、逮捕された幹部が警察に連行される光景を隠そうと必死の努力をした。不可解なのは、その場面がテレビカメラに見事に収められたことだ。偶然、テレビのクルーが取材に来ていたのか、それともどこからこっそり情報が漏れていたのだろうか。テレビで幹部が警察に逮捕されて連行される光景は、ニュースだけよりも、はるかに大きな効果があった。

ブラッター反対派にとって、この逮捕劇は棚から牡丹餅だった。「この機会に新しい執行部が就任すべきだ。」と主張したが、泥棒が泥棒を非難する程度のものでしかなかった。とりわけUefaの会長であるPlatini氏は、汚職にまみれた執行部を非難して選挙のボイコットを訴えた。氏自身が数々の汚職に巻き込まれていなければ、多少は信憑性があったかもしれないが、氏の主張に同調する者はほんといなかった。賢いブラッター会長は、この事態を想定して投票権のある幹部を夢のような賄賂がもらえる要職につけてやっていた。幹部はブラッター会長が存命する限り、雨あられと振りそそぐ賄賂を手中にできるので、ブラッター会長を支持した。日本の報道機関は、「アジアのFIFAはアジアでのワールドカップ開催のお礼に、ブラッター会長への信任を表明している。」と報道、まるでFIFAの報道官のような始末だった。とりわけアジア、アフリカ、それにラテンアメリカは汚職のメッカで、アジアのFIFAが独自の汚職騒動を抱えていることを心地良く無視した。

こうしてブラッター氏は何事もなかったように会長に再選されると、新会長はFIFAの幹部に対して寄せられた「信頼」に感謝した。ところがわずかその4日後、「幹部役員からの幅広い支持が欠けた。」事を理由に、会長から辞任する事を表明した。「梃子でも動かない。」ように見えた氏の決断を変えたは、何がだったのだろう。数日後、それは明らかになった。チューリヒで拘束されていたFIFAの幹部の身柄が、アメリカ司法局へ引き渡しされることが決まってしまったのだ!アメリカではスイスのようにいかない事を知っている幹部は、FIFAの世界中にめぐらされた収賄の実態、とりわけブラッター会長が汚職にどっぷり浸かっている事実を証言する代わりに、罪を軽くしてもらおうとする。さもないとこのまま刑務所に送られてしまい、これまで賄賂で稼いだ大金が文字通り「絵に描いた餅」になってしまう。ブラッター会長は、まさかかっての部下が口を閉じてそのまま刑務所に行ってくれるとは信じられなかったので、会長職からの辞任の表明に至った。

しかし、このまま表舞台から簡単に消えてしまうような人物なら、策略に満ちたFIFAで終身会長にとどまる事はなかっただろう。辞任を表明してから、「まだすべて決まってしまったわけではない。」という思いが強くなってきた。米国の司法当局は会長の有罪を証明しなくてはならないが、チューリヒで捕まった部下の証言だけで有罪になるかどうか、きわどい判断になる。「罪を軽くしてもらうために、嘘の証言をした。」と言えば、会長は相変わらず無罪を主張できるし、そのような判決が出る可能性もある。問題は司法当局がどれだけ物的証拠を集められるかだが、収賄を知り尽くした会長にとって、証明はほとんど不可能である事をよく知っていた。というのも、この収賄疑惑は今回が始めてではないのだ。過去、何度も収賄が取りざたされたが、誰もこれを証明できなかった。すると「辞任証明は早とちりだった。」と思うようになった。とりわけアジア、アフリカのFIFAから辞任を再考する要請が強かった。ブラッター氏なくして、今度どうやって生活の糧を得たらいいのか。これを受けて会長は、辞任を撤回すべく最後の反抗を開始した。

最初は辞任する時期を明示せず、ずるずるとこのまま会長職に留まり、米国での捜査の成り行きをうかがおうと考えた。しかし欧州のFIFAでは、「もうブラッター会長には辞めてもらろう。」という意見が支配的になったため、「辞任の時期を明確にしてください。」と言われ、辞任表明のまま終身会長に就くのは難しくなってきた。そこで次回の会長選挙を告示するものの、またしても出馬を表明する案を思いついた。アジア、アフリカの幹部職員の絶対の信頼を得ている会長は、数の上では負けることはない。しかし賄賂を払うスポンサーから、「汚いイメージを払拭しないともうスポンサーから下りる。」と脅かされて、これではFIFAの生命線を絶たれてしまう。そこで結局、最初の案に戻り、ブラッター会長は2016年2月に辞任予定である。果たしてこのままおとなしく辞任するか、しばらく高みの見物ができそうだ。

編集後記
一体、どういう気まぐれかFIFAの倫理委員会がFIFAの(まだ)会長、会長代理、FIFAの次期会長候補であるUEFAの会長など、サッカー連盟のトップに謹慎処分を言い渡した。これまではブラッター会長の忠実な僕で、何度汚職スキャンダルが持ち上がっても忠犬ハチ公のように会長を支持していた委員会が、今回だけはその主人に噛み付いた形だ。今回のスキャンダルの大波で、倫理委員会自身の存在価値が失われることを危惧したとしか考えられない。こうて次回のFIFAの会長選に、「汚職のないFIFAを目指す」と立候補していた両候補が汚職で謹慎処分を課されれる結果となった。まさにサッカー連盟の実態を象徴するにふさわしい。ちなみに謹慎処分になった候補者は、立候補を取り消すつもりはないという。ごもっともだろう。


Ach,Nee.
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