Jetzt oder nie! (08.09.2015)

1945年3月。終戦2ヶ月前になると、西と東からドイツの中心部に向かって押し寄せる連合軍を押し返すだけの兵力は、ドイツにはもう残っていなかった。夢打ち砕かれた独裁者には、ナチスが集めた財宝を連合軍がまんまと手にするのを妨害する程度の手段しか残されていなかった。ヒトラーは"Fuehrerbefehl"で、ナチスの財宝を安全な場所に秘匿するように命じた。この時点でも官僚システムはよく機能しており、ナチスの財宝を積んだ列車は夜間、こっそりと東ドイツのチューリンゲン州に向けて出発した。列車が到着すると、そこには近辺の収容所から駆り立てられた囚人が待っており、財宝はトラックに移されるとMerkersにある岩塩坑に運び込まれた。ところが普段は情け容赦ないナチスは、口封じの為に囚人を射殺しなかった。岩塩坑の扉を閉め、鍵をかけると、押し寄せるソビエト軍の捕虜にならないように、西に逃げることしか考えていなかったのが幸いした。

パットン将軍の先遣部隊がこの地に到着すると、財宝運びをさせられ囚人は喜び勇んで数日前に行った仕事について報告した(誰が米軍に財宝の場所を教えたか、諸説さまざま)。米軍はこの囚人の道案内で、岩塩坑の辿りついたが、入り口は岩塩坑には不似合いな丈夫な扉が設けられて、鍵がかかっていた。しかし当時は戦争中、爆破物には事欠かなかった。扉を爆破して、煙が収まった内部を見た兵士は、驚きで口がふさがらなかったに違いない。そこには金塊、外国通貨、有名な絵画など、ナチスが終戦時に保有していた財宝の80%が秘匿されていた。後日、西側の連合軍の最高司令官であるアイゼンハウアー将軍とブラッドレー将軍も、この大発見を一目見ようと現地を訪れた

ところが大きな問題がひとつあった。連合軍はソビエト軍とドイツ分割の協定を結んでいた。結果、ソビエト管理区で捕虜になった兵士、捕獲された装備、それにドイツの資産はソビエト軍の管轄下に置かれることになっていた。ドイツ軍兵士が、必死になってこの境界線の外に逃げようとしたのも無理はない。そしてこの地域は将来の東ドイツ、ソビエト軍の管轄下にあった。ただしソビエト軍は、「ベルリン一番乗り」に夢中になり、赤軍の主要部隊をベルリンに向けていたため、この地域にはソビエト軍はまだ到達していなかった。"Jetzt oder nie!"(チャンスは今だけ!)と連合軍は32台の軍用トラックに積み込むと、安全な西側に持ち込まれた。もっとも途上、2台のトラックが行方をくらまして、今日でもその行方はわかっていない。この財宝はその後、戦争賠償費用として連合軍が管理、勝ち組の中央銀行に支払われたとされている。

以来、「ナチスの財宝」の噂が絶える事はない。南ドイツの山中に隠されているという話、オーストリアの湖に沈められているという話、それに当時、連合軍の進軍ルートから遠く離れており、比較的「安全」だった南シュレージエン地方に隠されているという話。そして2015年の夏には新しいナチスの財宝騒動が持ち上がった。今回はチェコとポーランドの国境沿いにあるWalbrzychという町で、ドイツ人とポーランド人の金塊探しチームが、地下に隠されている装甲列車を発見したと主張した。

元々ドイツ人が多く住む南シュレージエンは、占領民が少ないので敵のスパイ活動の可能性も低く、さらには連合軍の爆撃機の到達範囲外にあり、ナチスの最後の砦のひとつとして絶好の場所だった。ドイツ軍はこの地に巨大な軍事施設の建設していた。1944年、ヒトラー暗殺未遂事件でこれまで使用されていた東プロイセンの大本営にはケチがつき、次いで迫りくるソビエト軍の脅威にさらされるようになると、新たな大本営として適した場所が探されたが、この南シュレージエンほど適した場所はなく、ここに第二の大本営の建築が始まった。

この施設の規模は、想像を超える広さで194.232 m²もあったという。東京ドームの広さが46755m²だから、楽に4つは入る大きさだ。そしてこの広大な施設は地表ではなく、すべて地下に設けられていたから、想像を絶する大工事だった。この施設は"Riese"(巨人)と呼ばれたが、付近にも巨大な地下施設が複数存在しており、この近辺はまさに地下都市の様相を呈していた。終戦時、ナチスは入り口を爆破、計画書も念入りにすべて破棄してしまったので、どこに入り口があるのか、どこを地下都市網がめぐらされているのか、今日でもわかっていない。

この地下施設を地中レーダー装置で探査していた金塊探しチームは、レーダーが地下に隠されている何かの映像を捉えたという。その大きさ(長さ)から、有名な装甲列車の姿と確信すると、この発見を地元の自治体に報告した。というのも発見者には、ポーランドの法律では10%の発見者の取り分が約束されているからだ。地方自治体は、野次馬がおこぼれにあずかろうとして勝手に手当たり次第に穴を掘り始める連中を懸念して正確な発見の場所を秘匿、「ドイツ軍の装甲列車発見の報告があった。」とだけメデイアに流したが、それだけで一気にナチスの財宝説に火が付いた。

当初は、「装甲列車らしき映像」だったが、すぐに「ナチスドイツの装甲列車。」と報道されるようになり、誰も金塊はおろか列車の姿さえも見てもいないのに「金塊列車」と報道されて、しまいには、「300tの金塊が搭載されている。」と報道される始末。あまり事実に沿った報道をしない日本のメデイアの事、日本にこのニュースが届く頃には、どんな内容になっていたのか想像するに難くない。その責任の一端は、列車が隠されているという噂の町の自治他にもある。これまでニュースになる事がなかった片田舎のこの町は、"Jetzt oder nie!"と大キャンペーンを開始した。金塊Tシャツに始まって、金塊トロッコ、金塊のお土産など、ありとあらゆるお土産物を考案、ナチスの金塊を一目見よう!として訪れる観光客相手の商売を始めた

ドイツでは、「装甲列車が本当に発見されれば、列車博物館には目玉商品だが、それ以上の価値はない。」あるいは、「列車が見つかっても、囚人の遺骨を収集するのが関の山。」と、とても冷ややかに報道されている。というのも「装甲列車の映像」とされているレーダー画像も公開されておらず、金塊はおろか、列車の存在すら示唆する証拠が存在していないからだ。ただしポーランド政府は軍を投入、発見地域を封鎖している事を見ると、将来、何かしらの存在が明らかになるかもしれない。

編集後記
その後、クラカウ大学が科学者を派遣して、地下レーダーで列車が埋まってるとされる場所を調査した。多大な注目を集めた記者会見で捜査チームは、「地下に少しばかりの鉄が埋まっているだけ。」と調査結果を発表、装甲列車の存在を否定した。しかし発見者はこの調査結果を受け入れられず、科学者の調査方法を否定している。お陰で今後もナチスの財宝伝説が耐えることはなさそうだ。


装甲列に詰まれた金塊は、
536 (2)


広大な地下施設"Riese"に隠された?
536 (1)
        

スポンサーサイト

COMMENT 0