Olympia Adee (28.12.2015)

2018年に韓国で、2024年には中国、北京でオリンピックが開催される。日本では知られていないが、ドイツはまずは2018年の冬季オリンピック開催に、次いで2024年の夏のオリンピック開催に立候補した。冬季オリンピックに立候補したのはミュンヘンだ。とは言ってもミュンヘンには雪が積もらないし、仮に雪が積もっても東京のように地価の高いミュンヘンの街中にスキー場を作るわけにもいかない。そこでお金持ちがスキーに行くOberammergauのスキー場をオリンピックに使用しようと考えた。オーバーアマガウは村落なので、厳密に言えば、ミュンヘンピックではなく、「長野オリンピック」のように、行政庁のあるGarmisch-Partenkirchen(ガルミッシュ パルテンキルヒェン)オリンピックとなる。これでは無名で宣伝効果はゼロ。さらに誰も発音できない。そこで「ミュンヘンオリンピック」と銘打ち、開催地としてオリンピックを招致しようと画策した。

政治家は「オリンピックを招致した人」として名前を歴史に残すことになるので、大企業はオリンピック特需で一儲けしようと、「ミュンヘン オリンピック」実現に向けて一致団結してキャンペーンを開始した。まずオリンピック招致委員会は、選手村や会場建設に必要な土地を確保しなければならない。そこでオーバーアマガウの農家に、「ミュンヘンオリンピック実現のために農地を貸してくれ。」と交渉にあたったが、農家は賢くも「オリンピックが終わったら、きちんと前の状態に戻すから。」という言葉を信用しなかった。自然は一度破壊されてしまうと、そう簡単に修復できるものではない。丘などを削って平地にしてしまえば、長年かかって体積した表面の地層が削り取られてしまい、かっての牧草地に戻すことはできない。この農地で生活している農家には大きなリスクだ。それに美しい観光地が損なわれ、この地を毎年訪れる観光客が減るかもしれない。そうなっては観光業で生きているこの地方にとっては大打撃だ。こうして徐々に反対ムードが高まって、オーバーアマガウの農家はミュンヘンの強大な中央政府に、「オーバーアマガウなしでやってくれ。」と絶縁状を叩きつけた。

東京オリンピック招致が、「国家の課題」になっている際に、「御免蒙る。」なんて言えば「非国民」などと言われかねないが、個人主義のドイツでは、これが許された。バイエルン中央政府は、「オーバーアマガウだけが候補地ではない。」と、今度はドイツ人でも聞いたことがないOhlstadtという村にある州の所有地にオリンピック村とスキー場を建設しようとした。今度は農民の許可が要らないので、中央政府のプランはうまくいくかに見えた。しかし環境保護団体は、「自然が修復できないまで破壊されてしまう。」とオリンピック招致反対運動を開始した。行政庁のあるGarmisch-Partenkirchenは県民にオリンピック招致の是非を問うべく、住民投票を行うことにした。しかし県民の賛成票は49%に留まり、わずか1%ではあるが過半数を得られず、ミュンヘン オリンピック招致委員会は開催地投票を待つことなく、解散することを余儀なくされた。

ドイツでは他に例のないバイエルン州のような一党独裁政権下で、オリンピック招致が失敗したことは教訓になってもいい筈だった。ところが2024年の夏季オリンピックの募集が始まると、「是非、オリンピックを招致したい。」という町(州)が出てきた。今回オリンピック熱病にとりつかれたのは、ミュンヘンに負けずお金持ちの町として知られているハンブルクだ。ハンブルク州知事は、「第二のシュミット首相」を目指して、キャリアアップに繋がるハンブルク オリンピックに政治的野望を見出した。企業はメデイア/出版社から始まって、建築会社、ホテル業界、宣伝部門、不動産部門まで、賛成の声しか聞かれなかった。サッカー人気に悔しい思いをしている陸上選手も、「これこそ陸上競技の人気を高める絶好の機会」として、オリンピック招致に大いに期待した。こうしてハンブルク オリンピック招致委員会が結成され、メデイアはスポーツ選手を器用して、テレビ、新聞、ラジオ、インターネットを駆使して大キャンペーンを開始した

メデイアが一向にキャンペーンを張っても、「独特の北ドイツ気質」で知られるハンブルク市民は、ハンブルク オリンピックという言葉にそれほど共感していない様子だった。その最大の理由は費用。オリンピックの開催には112億ユーロ必要と見積もられたが、オリンピック開催により金銭的な利益は38億ユーロに留まり、オリンピック招致は74億ユーロの大赤字事業と見積もられていた。ハンブルク州知事は、「ハンブルクが自分のポケットから払うのは12億ユーロだけ。」と市民をなだめようとしたが、残りの費用の62億ユーロの大金が何処から出てくるのか、はっきりとした声明を出さなかった。ハンブルクはオリンピックのような大事業の招致に成功すれば、"Bund"(国)が残りの費用を出すと取らぬ狸の皮算用をしていた。しかし肝心の財務大臣は、国の予算からオリンピック開催費用を払う用意があるとは一言も言及していなかった。

同じように、「やればなんとかなる」といい加減なプランで建設を始めたハンブルクのコンサートホールの建設は、建設費は計画当初の8倍に跳ね上がり、ハンブルク市の醜態を全国に示したが、ハンブルク市(政治家)は何も学んでいないようだった。ハンブルクは過半数の賛成票が得られるものと確信して、反対派の口封じをすべく、住民投票を実施することにした。投票日、「過半数獲得!」のお祝いをすべく会場に一同していたハンブルク州のエリートはシャンパンを片手にテレビ画面で開票結果が発表されるのを待っていた。ところがいざ開票されると賛成票48.4%に留まり、51.6%の過半数はオリンピックに"Adee"(さようなら)を言い渡した。この投票結果は、ハンブルク州知事にとって大きな政治上の黒星となった。ドイツ陸上競技会は、「サッカー以外のスポーツへのバックアップがない。」と市民の理解のなさを嘆き、メデイアは、「住民投票なんかしたら、今後はどんな催し物も反対されることになる。」と責任を住民に押し付けた。

しかし本当の責任は、この三者にあった。州知事は自身のキャリアだけ考えて、市民の意見を聞かずにオリンピックに立候補することを決定した。開催費用を何処から出すのか明確にせず、「ハンブルク オリンピック」という言葉だけで、市民を説得できると誤信した。ドイツに押し寄せる難民で市民が不安になっている今、もう一度、高価な冒険をする気は市民にはことさらなかった。そしてドイツ陸上競技会は、陸上選手のドーピングに長年目をつぶってきた。そしてこれが公になりそうになると、イメージダウンを恐れてドーピング事実を隠蔽したが、これが暴露されてしまった。そんな状況下、オリンピック開催への市民の理解はとりわけ高くはなかった。ちょうどサッカー協会が汚職でゆれている今、同じように汚職が蔓延しているオリンピックが市民の信用を得られるわけがなかった。そしてメデイアは、こうした市民の不満、不安に耳を傾けず、上流階級の意向だけに従ってオリンピック招致キャンペーンを開始した。上流階級による、上流階級のための、上流階級によるオリンピックに果たして市民が賛成するか、そのような問いはせず、キャンペーンの波で一気に説得してしまおうとした。

果たして日本では、オリンピック開催の是非を巡って、住民投票はあったのだろうか。それとも勝手に東京都が決めてしまったのだろうか。オリンピック開催が決まってから、東京都と国が予算を巡って対立している事実を見ると、大政翼賛会(国が主導のオリンピック招致委員会)が結成されて、費用の問題をクリアさせないで「オリンピックを招致しよう!」と右向け、右をしてしまったように見える。先進国では例のない未曾有の借金を抱える日本、出生率低下で慢性的な労働力不足に悩む日本、未だにデフレを抜け出せない日本が、オリンピックを開催しても大丈夫なのか。経済専門家は盛んに「経済効果」を唄うが、「この前はうまく行った。」と言う理論で、オリンピック開催で経済が活性化されるのか。かっての東京オリンピック時と今では事情が全く異なる。当時、日本の出生率は高く、国の借金は低く、福島原発もなく、国はまさに発展の途上にあった。今は発展の頂点を極めて下り坂に達している。こんな状況でオリンピックを招致しても、期待している経済効果とは逆に、ワールドカップサッカー開催後も経済不審に悩み続けるブラジルの二の舞になるのではないだろうか。


市民の声。
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