"Volksaktinen"  (27.02.2016)

90年代、ドイツにも民営化の波がやってきた。当時、巨額な負債を抱えていたドイツテレコムは、飛ぶ鳥を追い越す勢いの日本企業で働いていたドイツ人マネージャーを、「ドイツの著名企業で働いてみませんか。」と1160万ユーロもの巨額の年俸でスカウト、Sommer氏はソニーを辞めて、ドイツテレコムに社長に就任した。ゾマー氏の最優先課題は、当時、国営企業だったドイツテレコムを民営化して会社を成功裏に上場、上場で手に入った金で会社の借金を減らし、かつ、将来のテレコム市場の自由化に備えてテレコムを民間企業と競争できる会社に変身されることだった。

ゾマー氏は上場に向けて、有名なタレントを起用したCMを作成させると、これを「嫌!」というくらい放映した。一体、どれだけ費用がかかったのか知る由もないが、かってドイツ企業の株式上場でテレビコマーシャルが流れたことはなく、これまで株式に縁の無かった国民層まで株式上場のニュースは知れ渡った。そして国民の反響も大きかった。かっての国営企業、そして通信市場をほぼ独占しているテレコムは、誰にも確実な投資に思えた。ドイツは一気にテレコムブームに沸き、数年前に米国で上場されたフェイスブックの反響をさらに超えるほどの人気ぶりだった。こうして1996年に始めてテレコムの株が上場されると、準備されていた1億7200万の証券にはこれを数倍も超える購入希望者が殺到、28.50DMで初値がついた。実に200万人の国民がドイツテレコムの株を購入した。

この記録は今でも破られておらず、ドイツ株式史上、他に例をみない大成功だった。2年半後、テレコムは国が保有していた株式を売りに出すと、二年前の成功を見ていた国民は再度、テレコムの株に殺到。株式はほぼ3倍の値段、39.50ユーロの値段をつけて完売したが、希望者が多すぎた。株を買えなかった人が、「出発した電車に乗り遅れるな。」とテレコムの株に殺到、テレコムの株は100ユーロの壁を突破、株主は200ユーロの音速に達する日を夢見た。当時のフィーバーぶりを物語る言葉、"Volksaktinen"(フォルクスワーゲンをもじって、国民車ならぬ国民株という意味だ。)という新語まで出来て、まさにテレコムの株は一時代を築いた。あまりに熱狂したあまり、多くの素人投資家は、株価は一方通行ではなく、かならず上下するものだという鉄則を心地よく無視した。

この高値に大いに満足しているのは、株主ばかりではなかった。大株主のドイツ政府も大いにご満悦、この機会に国が保有していた最後の株式、それも過去最高の2億株を売ると、またしても希望者が殺到、66.50ユーロで完売して、ドイツテレコムの官営化は完結した。キャリアの頂点に立ったゾマー社長では、自身の能力を過信、豊富な資金源で米国の通信会社、それとも客の減少で苦しむ"Voicestream" を買収、米国でも大きく成功すると自信満々だった。ところがいざ会社を運営し始めると、米国への投資は金の墓場でしかなかった。幾ら金を投資しても一向に業績が改善せず、ドイツで稼いだ金で米国の孫会社を支援する羽目になった。すると会社の業績がみるみる悪化、株式は急降下を始めた。さらい悪いことは続くもので、国営企業時代に保有していた不動産の価値をかなり水増しして、会社の資産に計上していたことがバレてしまった。テレコムは不動産価格を市場価格に修正されることを余儀なくされ、企業業績はさらに悪化した。

ここで日本のバブル崩壊に相当する、ネット関連企業のバブル、通称、"Dotcom-Blase"が崩壊した。現代のドイツ株式史上最大のクラッシュとして歴史に残ることになるこの危機の中、テレコムの数は200ユーロどころか、わずか8.14ユーロまで下落。投資家、それも多くの素人投資家は実に90%を越える損失を蒙った。2002年、社長のゾマー氏は辞任に追い込まれたが、金を失った株主はそんなことでは満足しなかった。テレコムが会社の資産を水増しして株主を故意に騙したとして、株主はテレコムに損害賠償を求めて集団訴訟を起こした。その訴訟の数はあまりにも多く、裁判所はテレコムに対する訴えだけで手一杯、他の懸案は扱えないほどの数だった。この裁判は最高裁判所まで行った。最高裁は第三期の株上場パンフレットに間違いがあったことを認め、この訴訟を高等裁判書まで戻して再審させた。ところが高等裁判書はパンフレットを作成した当時の不動産資産は、「相応の値段であった。」と判断、テレコム株で財産を失った株主の夢は最終的に潰えた。

この体験はドイツ人にとって、集団トラウマとなった。国民株だっただけにテレコム株で財産を失った国民は多く、「もう二度と株は買わない。」、「株は危険。」という観念が深層心理に根付いてしまい、ドイツ人は株に対してはとても消極的で、他の国民と比較しても、株に投資してる人の割合が低い。米国では国民の56%が、日本でも28%の国民が株を購入しているが、ドイツではわずかに14%に留まっている。ドイツの株式市場は過去最高値を記録しているのに、この低調さだ。それほどまでにテレコムショックは深く、ドイツ国民の集団心理に定着してしまった。

その後、テレコムはなんとかして米国の子会社を利益を生む会社にしようと画策したが、うまくいかなかった。2011年、テレコムは同社を米国最大の通信会社AT&Tへ売却することで、ゾマー社長が始めた高価な冒険を終わらせることにした。ところが今度は米国の独占監視局が、「米国の通信市場の寡占が懸念される。」として売却を禁止した。結果、テレコムは米国市場から撤退するにも、買い手が見つからず、会社を立て直すこともできないで赤字経営の会社を抱え込む、にっちもさっちもいかない状況に陥った。「ドイツで成功したんだから、アメリカでも成功する。」と過信、アメリカの通信市場を甘く見ていたのが原因だ。窮地に陥ったテレコムは、米国の子会社"T-Bobil USA"に巨額投資を行い、会社が運よく黒字になったら投資家に売却して、これまで投資した金を回収するという"All or nothing"、一か八かの賭けに出た。

この"Himmelfahrtskommando"(特攻)に抜擢されたのが、AT&TとDELLで要職を務めたLegere氏だ。どういう人材の選抜を行ったのか知る由もないが、Legere氏の社長就任は、T-Mobile USに転機をもたらした。個人的な経験で申し訳ないが、日本の社長は遅刻して会社に出てくるとふんぞりかえって椅子に座ると、昨晩の深酒のせいで寝不足、机の前でコックリコックリ居眠りをする。しかし昼休み、あるいは終業時間になると、真っ先に会社を出て、飯屋か飲み屋に向かうのが日本の社長だが、同氏は違った。氏は営業の先陣に立ってT-Mobileのどぎつい色のTシャツをいつも身につけて、招待されていない競争相手のパーテイーに登場すると、ここから追い出されるという醜態を平気で繰り返した。これをカメラマンが撮影、翌日は同氏がパーテイーから追い出された記事が新聞に載り、無料で会社の宣伝になった。とにかく社長が先頭に立って宣伝をするので、社員の士気もあがった。ドイツからの巨額の支援を武器に他社の客を奪うキャンペーンを開始、「あの値段では、赤字を膨らますだけ。」と経済界での笑いの対象になったが、そんなことはまったく解さず、顧客の獲得に終始した。

2015年の年次決算で、T-Mobile USは前年比で三倍の経常利益、7千万ドルを越える大きな黒字を計上、さらにライバルの"Sprint"を追い越して米国通信市場のビッククスリーに成長した。かってはドイツ国内で儲けていたテレコムだが、テレコム市場の自由化で競争が激化、国内業績が伸び悩むことになった。よりによってこの窮状を救ったのが、T-Mobile USの巨額の黒字だった。これまでは赤字を生むだけの子会社が、Legere氏のお陰で「金がなる木」に変身した。一体、誰がこの「醜いアヒルの子」の変身を予想できだだろう。米国の通信市場への参入は簡単だが、ここから利益を生み出すのは困難を極める。トップ2社が米国のテレコム市場をほぼ独占しているかだ。そして利益が出なくても、米国市場から撤退するのは難しい。これ以上の寡占を防ぐために、寡占局がテレコム企業の合併(買収)を許可しないからだ。しかるに日本の某通信会社が2012年、米国で業績不振に悩む通信会社を買収して米国通信市場に進出した。「日本で成功したんだから、米国でも成功する。」と確信してのことだが、そんなに簡単ならドイツ テレコムはこれほどまでに苦労はしなかった。今後、この会社には茨の道が待っている。鈴木自動車でも同じだが、ワンマン社長は周囲の声に耳を貸さない。日本国内で営業してる限りは「居の中の蛙」でよかったが、海外に出るとそうはいかないことを、高い金を払って学ぶことになるだろう。


ゾマー氏のキャリアの絶頂期。
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