CETA (01.11.2016)

"TTIP"(米国と欧州の自由貿易協定)の影に隠れて、"CETA"(Comprehensive Economic and Trade Agreement)と呼ばれるカナダとの貿易協定は順調に話が進んでいた。米国のガチガチの資本主義至上主義と違って、欧州内の消費者保護に譲歩をするカナダ政府の態度も手伝って、いよいよゴールが見えてきた。欧州からカナダに輸出される品目の多くは車、機械等の工業製品で、カナダから欧州に輸出されるのは農作物、肉、それに石油等の資源で、競争する品国が少ないことも交渉の進展に貢献した。この協定が署名されると、輸出入される品目の実に99%の関税が撤廃されることになる。結果、欧州製品は安くなり競争力を増す。関税がなくなり、仮に日本車とドイツ車の値段の差がなくなれば、日本人だってドイツ車を買う。これが車だけでなくあらゆる製品に及ぶので、欧州の大企業はこの協定締結によるカナダ市場での売り上げ拡大に大きな期待を抱いていた。

もっともこの協定はまずは欧州議会で決議された後、欧州連合加盟国の28カ国で批准されてから、初めて正式に発効することになる。これが何年かかるかわらないし、すべての加盟国が批准するとも限らない。イタリア、スペイン、ポルトガル、それにギリシャでは左派政党が勢力を増して、ギリシャでは政権を獲得しているが、左派は伝統的に貿易の国際協定に反対しているからだ。かと言ってEU議会の決議だけ、加盟国の頭ごなしに協定にサインしてしまうと、またEU内でブリュッセル官僚独裁という非難が高まり、イギリスのようにEU反対派が勢力を増しかねない。そこで協定を二段階で発効させることにした。第一弾は、10月27日にカナダの首相をブリュッセルに迎え、EU議会の代表者とカナダの首相が協定にサイン、これを欧州議会で決議してから発効する。残りの項目は、すべての加盟国がそれぞれの国会で協定を批准してから、発効するとした。

それでもこの協定に対する国民の不安、欧州の消費者保護基準がカナダの基準まで下げられる、は拭いきれなかった。これに加えて、「貿易の自由化で得をするのは大企業だけ。」という妬みと不安が混じった感情も大きな役割を果たしていた。日本のアベノミクスでは、円安で得をするのは輸出関連の大企業のみ。その大企業で働く労働者は派遣で、会社が儲かっても給与のアップは雀の涙。しかるに会社側は、「最低賃金が800円なら我慢できるが、1000円になるとやっていけない。」と主張する。企業史上かってない経常利益を上げている会社が、自給1000円も払えないという。かってないほど儲かっているのに、労働者に正当な給与を払っていない会社が、貿易の自由化により、労働者の待遇を改善することはない。それどころか、さらに安い労働力を求めて、派遣労働者の割合を増やしていくだろうから、自由貿易協定で得をするのは大企業だけで、労働者には何の利点もないと市民が考えるのも無理はない。

欧州各地でCETA反対運動が盛り上がる中、ドイツでは反対派がCETAが加盟国の批准なくして発効するEUの取り決めは憲法違反だとして、ドイツの最高裁判所に訴えた。裁判所でCETAを弁護する通産大臣は、「すべての反対派を説得しないと協定が発効しないといけないなら、将来、EUと協定を結ぶ努力をする国はなくなる。」と論拠、氏がこれまでにおこなった演説では群を抜いて優れたものだった。最高裁判所も概ねこの筋の論拠を支持、「欧州連合が取り決めた協定をドイツが拒絶すると、経済拠点としてのドイツ、ひいては欧州の存在意義を失いかねない。」と、CETAの調印後、EUの管轄にある協定項目に関しては、加盟国の批准を待たずに発効しても違法ではないと判断した。ただし最高裁判所は、この協定が今後の判決で憲法違法と判断された暁には協定を反故にできること、本当にEUの管轄にある項目だけ発効することなど、幾つか条件をつけた。

ドイツの最高裁判所がGoサインを出したので、加盟国の担当大臣がブリュッセルに集まって、協定調印の最後の仕上げにかかった。ここでブリガリアやルーマニア、それにベルギーの"Wallonie"の地方議会が、この協定に文句を付けた。これは欲に言う「いちゃもん」で、大きな出来事の前に何かしら要求をあげてEUから妥協、もっとはっきり言えば補助金をかしめようという魂胆で、何も今回に限ったことではない。大方のジャーナリストは、「明日になれば皆、妥協している。」と請け負った。実際、ブルガリアとルーマニアは妥協案に納得して、協定に同意した。ところがベルギーのヴァロニー議会だけは、頑として首を縦に振らなかった。

ヴァロニーとはベルギーの南半分、フランス語を母国語とした住民を指し、独自の議会を持っている。10年前、ベルギーは国の分裂の危機に陥った。フランス語圏はフランスに帰属することを望み、中央政府と対立した。この対立を解消するためにこのような譲歩をしたのだが、ヴァロニー地方は内陸部にあり、産業基盤が弱く、不景気に悲鳴を上げている。地元の大企業と言えばベルギーの軍需産業くらいだったが、工場を閉鎖すると発表したばかりだった。この工場閉鎖により数千人が職を失う。自由貿易協定が調印されることにより、ヴァロニーで生産されているわずかな農産物もカナダの安い農産物に負けて、ヴァロニーがさらに貧乏になることを恐れた。

EU加盟国、それにブリュッセルの官僚は、「7年も交渉してここまでこぎつけた協定を、ベルリンの人口ほどの地方議会が台無しにするなんて有り得ない。」とベルギーのフランス人を非難したが、ヴァロニーは本気だった。EUが妥協案として出してきた案を、「3000ページにも及ぶ文書を送り、今晩までに返事をしろというのは脅迫だ。」とこき下ろした。こうして日曜日に同意に達する筈だった協定は、誰も予想してなかったヴァロニーの反抗により、見事に座礁に乗り上げた。カナダの通産大臣は、「EUには国際協定に調印する能力がない。」と涙ぐんだ目で声明を出し、交渉の決裂を宣言した。ヴァロニー議会は欧州の政治家から猛烈な非難をくらったが、CETAに反対する欧州内の市民から絶大な「ブラボー」の絶賛を受けた。市民が幾ら反対しても阻止できなかったCETAの調停を、ヴァロニーの地方議会が阻止したのだから、その感激は大きかった。

このヴァロニーの反抗は、ドイツ国内では緑の党と左翼政党を除いて、非難の対象になった。連立政権、それに経済界は、「ドイツ経済への大きなダメージとなる。」と将来を真っ暗に描いたが、ドイツ経済は今、CETAが調印されていないのに、至極調子がいい。しかるに協定の調印されないと、すなわち今のままだと、ドイツ経済に大きなダメージを与えるとは、いかなる論理だろう。「癌保険に入っておかないと、癌になったら大変ですよ。」と市民を脅して保険を売りつける保険屋のセールスのようにしか聞こえない。国民にちゃんと説明しないで、こういう脅しを用いるから、国民が新しい協定に反対するのだ。

帰国しようとしたカナダの通産大臣を、「まだ終わったわけじゃない。」とEU議会大統領のシュルツ氏が引きとめた。氏は木曜日に予定されている協定の調印式にまだ間に合わせるべく、ヴァロニー議会の説得にかかった。氏は甘い言葉で妥協と勝ち取ろうとしたが、ヴァロニー議会は頑として首を縦に振らなかった。言葉だけではトイレットペーパーにも使えないことを、ヴァロニー議会の代表は承知していたからだ。ヴァロニーはEUに具体的な妥協の内容を要求した。しかしカナダは新たなCETAの交渉を拒否、協定が調印される筈だった木曜日になってもヴァロニー議会の同意がなく、CETAは7年もの長きにわたって交渉をしてきたのに、"ausser Spesen, Nichts gewesen"(徒労)に終わってしまった。

ところがである。シュルツ氏(ドイツ人)は、協定が調印される筈だった木曜日が結果なく過ぎても、諦らめなかった。ヴァロニーとカナダの間に入って、妥協策を探し続けた。そして金曜日になってその妥協先が見つかった。ヴァロニーは農家を守るために関税をかけてもよいこと、投資家がヴァロニーを「投資する機会を逃して、損益をこうむった。」とカナダの調停裁判所に損害賠償を求めて訴えるのではなく、そのようなケースでは欧州裁判所に訴えを出すことで、ヴァロニー議会はCETAに同意した。こうしてカナダの首相は10月30日にブリュッセルを訪問して、協定に調印した。今後、年内にEU議会でこの協定が決定されて、CETAの一部が発効することになる。残る項目はEU加盟国が国会で批准することになるので、果たしてこれが発効するか未定だ。

EUに批判的な人は、「それみろ、意見がばらばらで一向にまとまらない。」というが、言葉、歴史、宗教が違う28もの加盟国があるのだ。話がすぐにまとまならいのは、当たり前。それでも官僚が頭ごなしに決定するのではなく、民主主義の論理に沿って決定する方針を崩さなかったのは評価できる。沖縄の米軍基地の移転問題だって、10年以上議論しても同意に達さず、結局は沖縄市民の声ではなく、中央政府がこれを頭ごなしに決定した。国内の懸案でこの様なのだから、EUの決定が長引くのも無理はない。尚、CETAでこのような顛末になったので、米国との自由貿易協定、"TTIP"は死んだも同然。そしてその方が良かった。日本は果たして交渉を進めているTTPに調印するのだろうか。欧州での議論を見ていると、不安になってくる。


CETA aus! oder doch nicht?
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