Konrad Adenauer (1949-1963)

最初の人物はあまりにも有名だから省いてもいいだろう。
adolf.jpg
この人物が1933年1月30日に首相に任命される前、当時の大統領ヒンデンブルクは(勘違いして)『ペンキ屋ふぜいをビスマルクの椅子に座らせるわけにはいかん!』とA.Hitlerの首相任命を頑なに拒んだのは有名な話である。
第二の人物は、ドイツ連邦共和国最初の首相Konrad Adenauerだ。
この首相の果たした役割は非常に大きい。ドイツの首都を(通勤に 便利だからという理由で)Bonnに決め、幾つもの政党が乱立する時代にあらゆる技(陰謀)を駆使して、14年間も首相として君臨した。戦後、まずはフランスとの関係回復に努め、ドイツが急速に復興を果たしたのもこの人物の功績だ。
特に今でもこの人物が尊敬されているのは、戦中、戦後からソ連に捕虜になったままのドイツ人の帰還を果たした事。 戦後、50年代に初めてソ連を訪れる事になった首相には、ソ連との関係回復はもとより何百万とドイツに抑留されていたドイツ人の救出が最大の課題(重荷)だった。当時のソ連の書紀長は、かの有名なフルシチョフ。
「ドイツ人捕虜」の一言を言っただけで、フルシチョフ書紀長は憤慨して立ち上がり、ソ連にはドイツ人捕虜はいない。戦争犯罪者がいるだけだ!」と話のとりつく暇もない始末。「貴様の国が戦争を仕掛けてきたのだ。」と、いきり立つフルシチョフ書紀長に「そのドイツ政府と同盟を結んで世界征服をたくらんだのは、あなたの政府でしょう。」と冷たく言い返すアデナウワ-。憤慨してフルシチョフ書紀長が立ちあがり、アデナウワ-に殴りかかろうとする。その瞬間、アデナウワ-も立ち上がり、腕で「かかってこいよ。」と、フルシチョフ書紀長を挑発したのは有名な逸話。両大戦とナチスの恐怖政治を生き延びただけに、脅しが効く政治家ではなかった。
結局、フルシチョフ書紀長はアデナウワ-の一歩も引かない態度に折れ、ドイツ人捕虜の返還に同意する事になる。これが日本の首相だったら、果たしてどうなったことやら、と、思わざるを得ない。ドイツ人捕虜返還のニュースはあっという間にドイツに伝わり、アデナウワ-はBonn空港で歴史的な会見をすることになる。その会見の途中に、年取ったドイツ人女性がアデナウワ-に近寄り、その手を握って深く頭を下げた。10年以上、ソ連に抑留されている夫の解放決定を知り空港にかけつけ、アデナウワ-に感謝するシ-ンは、ラジヲを聞いていたドイツ人を深く感動させた。
アデナウワ-は、決して潔白な政治家というわけではなく将来政敵になりそうな相手がいるといろんな陰謀を凝らして潰していくというかなり汚い手段も平気で用いた。アデナウワ-は自分のみが戦後のドイツを復興させる事ができると信じていたから、自分の仕事を何が何でも完遂する為にはる必要ならどんな手段もいとわなかった。
実際、アデナウワ-の政権下でドイツ経済は再生し、すで1950年代に奇跡とよばれる程の経済復興を遂げる。これに気をよくしてますます権力に魅せられたアデナウワ-は大統領選挙で政敵を片付けるために、汚い手段を取る。最後はこれが命取りとなり、自分の党、国民からも支持を失い1963年に辞任に追い込まれる。
アデナウワ-の死後、「やっぱりあの人はすごい人だった。」ということになり、あちこちにアデナウワ-の銅像が立ったり、紙幣に顔が刻まれたり、あちこちの街でアデナウワ-通りやアデナウワ-広場が銘銘され、かっての偉大な首相を偲んでいる。ドイツに来たらどの街にも、かならずアデナウワ-通り(広場)があるから、アデナウワ-の名前を見つけたら、氏の功績に思いを馳せてみよう。
adenauer.jpg


スポンサーサイト

Comment 0

Leave a comment