Gerhard Schroeder (1998-2005)

(元)首相のシュレ-ダー氏はきっと日本のニュースでも取り上げられることが(多分)多かったから、ドイツに興味のある人なら、名前はともかく顔を見た事がある(ハズ)だ。当時、党首であったOskar Lafontaine氏は、「シュレ-ダーでは、コールに勝てないだろう。」と読み、ライバルであるシュレ-ダー氏を首相候補として推した。シュレ-ダー氏が選挙戦で大敗を喫し、氏の政治生命を絶ってから、自身が首相候補として立候補、首相になるプランを持っていた。ところが当時のドイツでは経済不況が広まりつつあり、世論は無能なコール政権に嫌気がさしていたので、シュレ-ダー氏が総選挙で勝利、首相の座についてしまった。
シュレ-ダー氏はチームワークを尊重しない、個人プレーヤーだったので、党内ではあまり人気がなかった。ところが政権をCDU&CSUから取り戻した褒美に、1999年にSPDの党首に就任する。これが気に入らないのが、まんまとシュレ-ダー氏に出し抜かれたラフォンテーヌ氏だが、「ここでちゃぶ台をひっくり返すのは時期尚早」と、ぐっと堪えてシュレ-ダー氏政権下で財務大臣に納まるも、シュレ-ダー氏と仲直りすることができず、たったの4ケ月で財務大臣の椅子を放り出して隠居してしまう。
シュレ-ダー氏は、政治家には珍しく冗談が好きな政治家で、その冗談を駆使して、大衆に人気を博して、個人的な魅力だけで2度目の総選挙にも勝ってしまった。実際、シュレ-ダー氏の野党議員の非難をかわす話術には秀でたものがある。例えば、2002年の総選挙の際に、国会で野党の党首から非難されて答弁にたったシュレーダー氏は、 " Ich habe verstanden, dass Sie Kanzler werden moechten. Aber Sie werden es wohl nie welchen werden. Sie haben keine Qualifikation dafuer." あなたが首相に成りたいのは、よっくわかった。でも、それは無理な話だよ。あなたには、その資質がない。』と相手の質問に答えることなくして、相手をやりこめてしまった。
その首相の人気も2002年の総選挙後から下り坂。原因は、公約破りの増税。選挙が終わって1週間もたっていないのに、公約破りの増税はまずかった。その後も破産寸前のドイツ財政を立て直す為、政治改革に着手。つまるところ、増税の連続。元来、SPDは社会党であるから、労働者の権利を擁護するハズなのだが、国を破産から救うには過度の社会保障を改革すべしとの信念で、改革に着手した。その考え方は正しいのだが、金持ちは、特例で税金を払わないで金持ちになる一方で、中間層からできるだけ多く搾り取ろうという政策は、労働者の間だけでなく、社会党内部からも反発を招く。結果として世論調査では支持率が18%まで下落。政権を保持する政党としては、過去最悪の数字を記録するに至った。
2005年の地方選挙で歴史的な大敗を喫したシュレ-ダー氏は、本来なら2006年に計画されていた総選挙を前倒しして、2005年に実施するという自殺行為に出た。通常、総選挙の前倒しは、人気が下り坂にある政権が、人気がどん底になる前に選挙を行なって政権を確保しようとする最後の手段なのだが、シュレ-ダー氏の人気がすでに最低の時期に選挙を前倒しするという行動に出た。結果は(善戦したも のの)敗戦。単独政権を放棄せざるをえなくなり、首相の座を政敵のCDS/CSUに明け渡して、連立政権を組むことでかろうじてSPDは政権の座に留まることとなる。肝心のシュレ-ダー氏は政治への興味を明らかに失ったようで、国会議員の議席を返上。首相時代に自らが作り上げたコネで、ロシアのパイプライン会社の取締役に納まってしまった。

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