Angela Merkel (2005-

ドイツ史上、初めての女性首相であり、また初めての戦後生まれの首相、かつ初めての東ドイツ育立ちの首相と何から何まで始めての首相である。職業は物理学者。ロシア語に堪能(らしい)。東ドイツの崩壊を機会に政治活動を始めて、1990年にCDUに入党。その後、たったの10年で女性でありながら、また東ドイツ出身にもかかわらずCDUの党首になってしまう。
メルケル女史のこれまでの政治活動を見る限り、とても運がいいと言わざるを得ないだろう。まず東西ドイツ統合後の初の選挙では、得票率0.9%という信じられない低得票率にもかかわらず、CDUが勝利したために国会議員になってしまう。コール首相は、東ドイツの選挙戦に西ドイツの人間を候補に立てても勝てないと確信、選挙民にアピールできる(票を獲得できる。)東ドイツ出身の党員を探して、メルケル女史に目が留まる。以後、コール首相の後押しで、州知事などで政治家の経験を積むことなく、一気に党の首脳部に収まってしまう。党の首脳部と言っても、そこは男性の世界であるから、女性が首相になるなんて本来なら夢物語。ところが、コール首相が引き起こした汚職疑惑で、党首脳部は彼女を除いて皆、要職からの辞職を余儀なくされる。汚職疑惑が収まってみると、党首脳部で残っていたのはメルケル女史だけ。こうして、メルケル女史が党首に納まってしまう。
しかし、党首になったからと言って、皆が首相になれるわけではない。党内の派閥争いに生き抜いて、総選挙で勝利して初めて首相になれるのである。案の定、2002年の総選挙ではCSUの党首、シュトイバ-氏がメルケル女史をさしおいてCDU/CSUの統一首相候補に推薦される。一見 楽勝に思えた総選挙だが、折からの洪水でSPDのシュレーダー氏がぐいぐいと得票を伸ばして、僅差ながら総選挙に勝利してしまう。時は流れて2005年。今度はメルケル女史がCDU/CSUの統一首相候補に推薦される。ところが総選挙では、CDU/CSUは党始まって以来の低い得票数を記録してしまう。普段ならこれでメルケル女史の夢は費えたはずなのだが、他の政党も似たり寄ったりの低い得票率で、どの党も過半数を制することができない。苦肉の策で、ドイツ史上2度目のCDU/CSUとSPDの連立政権が誕生。この連立政権の首相としてCDUの党首、つまりメルケル女史が収まってしまう。これほど運に恵まれた政治家はいないだろう。
肝心のメルケル女史の政治手腕だが、老練なコール首相から政敵を削除する方法を学んだようで、片っ端から州知事をお払い箱にしていった。その結果として、現在、メルケル首相の座を脅かす政治家が居ない状況である。肝心の政治家としての能力だが、「失敗をしない事。」に専念する余り、どんなに急を要する事態でも、「まずは結果を見てから。」動く為、ユーロを破滅の危機に追いやるなど、勇気のある決断に欠けるのが大きなマイナスである。(26.02.2011)

086.jpg


スポンサーサイト

COMMENT 0