分岐路  (24.06.2007)

民主主義が(本当に)発達した国なら、ほぼ例外いなくその国には二大政党がある(もしくはあった)。建前上、民主主義を標榜しているロシアや白ロシアを見てみればいい。民主主義はたただのリッピサービスで。一党独裁である。二大政党制の利点は、小さな政党により利害が細分されず、大きな改革が可能になることにある。(首相にそれ相応の能力がある事が前提。)ドイツの二大政党と言えば、言わずもがな、CDU/CSUとSPDである。ところが今、ドイツでこの二大政党制が崩れつつある。

この原因は、よりによってドイツでもっとも長い歴史を誇る政党、SPDだ。その原因は党首兼首相であったシュレーダー氏にある。元来SPDは(敢えて言えば)日本で言う社会党のような存在で、党の目的は(少し古いが)労働者階級の生活環境改善で、当然、SPDの党員の多くは労働者階級に属する。よりによって労働者階級の利益を代表する筈の党が、シュレーダー政権下、社会保障制度を削って、低所得階級の生活を苦しくするような措置を取ったものだから、党員には党の政策納得できない。これをきっかけに離党者が続発、SPDは1998年から8年間で20万人もの党員を失った。

しかしSPDが労働者階級を代表する唯一の政党だったらまだ良かった。昔、日本で流行った「究極の選択」みたいなもので、政策には不満でもSPDに投票するか、それとも、資産階級の利益を代弁するCDU/CSUあるいはFDPに投票してもっと自分の首を絞めるか、の選択肢しかなかったからだ。ところが、ここで(以前のコラムで紹介した通り)左翼の新しい政党die Linkeが誕生する。この政党の母体となったのは東ドイツで独裁政権を行った悪名高いSED(統一後は素早く名前をPDSと変更)で 、SED⇒PDS⇒die Linkeと名前を変えると、20年前の共産主義のイメージはかなりやわらいだ。

しかし決定的にこの党のイメージアップになったのは、よりによってSPDの元党首であったラフォンテーヌ氏がSPDに党員証を送り返して、die Linkeに加わった事だ。ラフォンテーヌ氏は2007年の党内選挙でdie Linkeの党首に選ばれて、大衆には新しい左翼政党の誕生というイメージが定着した。これまでのSPDの支持者にしてみれば、どうして資産階級の要求に迎合するSPDを支持する必要があるのか。答えは勿論、Neinである。結果としてSPDの支持率は下る一方で、現在、支持率はかろうじて30%に留まっている。die Linkeの支持率は10%だから、ちょうどこの10%を加えた数がかってのSPDの(調子の良かった頃の)支持率である。つまり、die Linkeが1%支持率を伸ばせば、SPDの支持率は1%減る公算だ。

よりによってこの大事な時期に、シュレーダー氏の跡をついだミュンテフェーリン氏に対して、党内左派からの反発があった。左派は、党の支持率低下の原因となった、シュレーダー派、つまり右派の政策に我慢できなくなったのだ。こうしてミュンテフェーリン氏が辞任に追い込まれてしまう。代わりに党首になったのが写真右のKurt Beck氏。このBeck氏は外見と異なり、「話の出来る」タイプ。逆に言えば、周囲の意見に耳を傾けて合意に達する事を大事にするので、以前のシュミット首相のような行動力、統率力に欠ける。又、ザールランドという小さな田舎の州の知事から、いきなり全国政治の場面に登場した為、党を完全に掌握しておらず、これも統率力に欠ける原因となっている。さらには、ベック氏はドイツ国内での知名度が全くないので、テレビに登場しても「SPDの党首」として認知されない。その結果、ベック氏が党首に就任してから、支持率は上昇するどころか下降気味。早くも党内での更送が噂されている。

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棚から牡丹餅で党首に納まったBeck氏。




          
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